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プロを訪ねて三千里【第11回】谷口智彦氏(後編)
多様な発想を「働き方改革」で
世界に通じる高度な英語教育を
内閣官房参与の谷口智彦さんは、安倍首相の対外発信を支えるお一人です。後編では、世界が注目する日本文化について、アベノミクスが掲げる「働き方改革」の本質、そして良いスピーチとはを伺います。
- ※今回はソニーフィナンシャルホールディングス シニアフェロー チーフエコノミスト・菅野雅明を加えた鼎談としてお届けします。
日本ブランドの本質
- 尾河
日本を世界に発信することは、海外の人に日本へ投資していただくにも大切ですね。努力は十分でしょうか。
- 谷口
日本の「ブランディング」と、それに応じた資源の集中投下が、中国のようには、日本はできていません。中国国営放送がしているような国際放送も、日本にはありません。もっとも、カネに糸目をつけない中国相手だと、どの国も勝負にならないのが実態ですが。
お尋ねには、日本が誤解されやすい国なのでは、というお気持ちもおありでしょう。積年の課題でして、発信力・語学力の乏しさが、やはりネック。よく、ルールを不利に変えられた、などといってわれわれ憤りますが、ルールを決める場に十分な人、声を届けきれていない。むしろ自省すべきです。
ただ、日本は捨てたもんじゃない。そこは、いつも心に留めておきたいと思っています。日本が世界に提供できるものを、列挙しましょうか。
和食とその文化ですね。紫式部から村上春樹に至る文学の山脈です。色彩と構図に長けた絵画芸術。金ピカ文化がないかわり、土と紙でこしらえた、庶民が愛惜する器や道具。またそれは、茶道など「ライフスタイル文化」を生みました。能、歌舞伎の古典芸能があれば、江戸時代の各藩が殖産に励んだおかげで土地、土地の物産があり、それは南北に長い地形に応じて、四季折々の変化を見せます。
これだけフルセットを備えた国が、一体どれだけあるでしょう。政治や外交と同様、ここでも悲観する必要はないと思います。
- 尾河漫画やアニメへの評価も高く、政府は「クールジャパン」と称して力を入れています。うまくいっているのかどうか。
- 谷口
特定産業を育てようとすると、どの政府も大体間違えます。自動車産業でいうと、日本政府はホンダの成長を全く予測できませんでした。漫画やアニメが伸びたのは、政府に無視された、その分、子供たち、つまり消費者だけを頼りに工夫を重ねたからじゃないでしょうか。
ではどうして日本で漫画が育ち、漫画に根をもつアニメが伸びたのかというと、日本の子供がとても幸せだったからだと思います。
漫画はかつて少年少女向け雑誌の形で読みましたが、読んだのはもちろん子供たち。場所は学校帰りに寄る横丁の駄菓子屋か、後にはコンビニでした。雑誌はお小遣いで買えたし、寛容な店主は立ち読みを許した。
この行動がどういう条件を必要としたかというと、スクールバスに乗らない限り通学できない環境では、絶対に無理。下校時に道草自由の日本でだけ、存立し得た行動です。安全、平和、自由。それが日本の子供にあったということですね。
講談社や小学館は、その子供たちが育てた会社です。そこには早稲田や慶應を出た類の青年が集まって漫画を担当しましたが、一流大学出で文学志望の編集者がせっせと漫画を作った国も、日本以外ありません。
こうした土壌は、育てようとしても育たない。だからこそ確かです。幸いいまの政府も、漫画、アニメの中身に口出しせず、せめて輸出の際、著作権の側面で手伝おうとしているくらいです。
多様な発想を生かす「働き方改革」
- 菅野いま出版社の話が出ました。谷口さん自身、経済雑誌記者の出身。その後外務省へ、今は内閣参与に大学院の先生と、「働き方の多様性」を地でいくご経歴ですね。
- 谷口「リーマン・ブラザーズがもしリーマン・ブラザーズ・アンド・シスターズだったら、潰れなかっただろう」と。これは安倍晋三首相がよく使う喩え話です。真理をついている。投機的バブルの生成も崩壊も、一方向にみんなが暴走して起きるので、要するにそれは組織における「多様性の欠如」が一因だったといえますから。
- 尾河企業でも、リスク管理の要諦は多様性の維持だという、その点ですね。
- 谷口
「三人寄れば文殊の知恵」というように、個性の異なる人間が集まった方が知恵が湧く。暴走の歯止めもかかりやすいわけです。
労働力が増えない日本では、生産性を上げないと成長できません。そこで大切なのがイノベーションです。それには、自由闊達な議論を尊ぶ組織にしないといけないわけで、だからこそ「働き方改革」が重要なのだと思います。
改革には、一定年収を超す人たちの時間管理を柔軟にする特例を含む予定でした。でもそのための法案が国会をなかなか通らず、2017年春の通常国会でも、また流れました。ですからこの改革では「同一労働・同一賃金」の側面に焦点が集まりましたが、これだけでも相当の進歩です。
同じ労働に同じ賃金を払っているか。挙証責任が企業に生じます。払えないなら相応の理由を述べないといけません。従業員からすると、自分の賃金が妥当かどうか横の比較ができないといけませんから、企業は各人の職務内容を明文化することを求められます。不服を聞いてもらえない社員は、訴訟に訴えるかもしれない。企業に法務リスクを感じさせる意味合いも、改革は帯びています。
- 尾河働き方に対する考え方も、変わっていくでしょうか。
- 谷口
副業を容認する企業が出てきたことは、その証拠だと思います。コピーライターなど典型ですが、会社の机に座っていれば、仕事ができるとは限らない。土日にはアイデアが出ないというのでもありません。時間で肉体を縛るのは、よく似た製品のシェア争いをした製造業モデルであって、時代は変わったのだと思います。
柔軟な働き方ができるなら、育児や介護の負担も軽くなる。盛夏に限って信州からテレワークするというのも、夢ではありません。
一方では、定型作業が人工知能に置き換わっていきます。それやこれや、私は人口減少が、日本にむしろ好機をもたらすだろうと、楽観視したいと思っています。安倍首相の受け売りですが。
- 菅野いま人口のお話が出ました。前回も、いわゆる高度人材に世界最速で永住ビザを出す政策のご紹介があって、日本は移民社会に向いて舵を切ったのかという疑問がわきます。
- 谷口
いえ移民社会にはならないし、しようとすべきでないと思います。日本のような古い島国というのは、世界標準から外れる「ガラパゴス」であって、むしろ当然です。国境が太古から、四囲の海で自然と決まっていた。これ自体が珍しい。李白や杜甫の詩を読もうとすると、現代中国人は苦労するそうですが、日本では万葉集を高校生が解します。このことはもっと珍しい。そして天皇さんご一家は、世界最古の家系のひとつ
日本とは何ぞやと問われたら、「継続そのものです」と答えたくなるそんな国を、一気に移民国家になどできるはずがないし、しようとすると随所で破たんするでしょうね。そこを自覚して生かしつつ、でも外へ外へ自分を開いていくという、精妙な均衡感覚が必要なのだと思います。
世界で渡り合える外国語教育
- 菅野古い日本語は、国民の大切な資産ですね。一方で、冒頭おっしゃったように英語で世界に発信できる人材が、あまりにも少なくありませんか。
- 谷口
満州に進出した日本の行為を批判して、当時の国際連盟が「リットン報告書」を出しました。よく読めば日本の既得権を相当認める内容だったのに、当時の世論は国辱だ、ケシカランといい、あげく、日本は連盟を脱退してしまいます。
なぜ読み違えたのか。リットン卿自身によると、日本人の英語力が甚だしく低かった、そのせいだという拍子抜けする話なのです。
明治初期に教育を受けた日本人は、違いました。岡倉天心など、英国の大手版元から印税の前受けをして、インドの滞在費を賄っています。そのくらい、何を書いても(英文で、)活字にできた人でした。当時は地理も化学も外国人の先生に、英語やフランス語でそのまま習いました。わたしは彼らこそが、日本近現代史を通じ今日に至るまで、最も語学のできた層だったと思います。つまりわたしたちは、明治の始祖を追い抜かせていません。
日本人の英語下手は「成功の代償」ともいえますね。素粒子物理学から分子生物学まで、どんな分野でも母国語の教科書で学べる国自体、世界では珍しい。明治時代とそこが違うところで、いまの学生には、明治時代の学生にあったような、英語に向かう動機がないわけです。
小学校から英語を始める新方針も、英語嫌いを「早期養成」するだけにならないか。むしろ最も必要なのは、国益を最前線で担う一定層の英語力を、徹底的に磨くことじゃないでしょうか。そこで必要なのは、立派な英文を書く岡倉天心的能力です。
心打つスピーチの極意
- 菅野谷口さんについて、米国議会演説など、安倍総理の外交スピーチを手掛けた方だという評があります。ノーコメントでしょうが、よいスピーチとはなぜ大切で、どうすれば作れるのでしょう。
- 谷口
一般論でいいですか。スピーチとは、声帯を振るわせて音波を作り、聴衆の鼓膜を振動させて電気信号に変え、それを聞き手の脳内で言語に翻訳させて初めて意味をなす手間のかかるものです。
そこまでして伝えたい何かがないのなら、紙に要点をまとめたものを渡してくれた方が、お互い時間の節約になります。
スピーチとは立派な「話芸」ですから、「間(ま)」が大切。またオーディオ機器に喩えるなら「ボリューム・コントロール」と「トーン・コントロール」をフル活用する必要があります。中身がどんなに立派でも、無感動に棒読みされたのでは聴衆を揺すりません。
実は「語ってナンボ」というこの話芸的側面を理解している人は、官界はいうに及ばず、政界や、それから業界にも非常に少ない。
- 尾河なるほど。では「中身」の作り方はどうですか。
- 谷口
いま尾河さんがおっしゃった「なるほど」という言葉。これを最後にどういわせるか。「なあるほどー」と深く頷いていただくことが、スピーチの目標です。訴えたい内容が、届いたということになりますからね。
感動を促す演説はどうやれば作れるのかというと、王道は一つだと思います。作り手自身が「え?」と驚いて、「へえー」と感嘆し、最後に「はあぁ」と、溜息とともに深く感動するという、そういう過程を経るのが王道です。
そして感動とは、固有名詞で語れる何かからしか生まれません。比喩になりますが、「綾瀬はるか」は好きになれても、「女優」を一般的に好きにはならない。「夕陽」の美しさは、「あの日、あの時、あの人と」という固有の限定が加わってこそ、記憶に残るわけです。スピーチでお堅い政策を語ろうというときも、そこにどう、固有の人間ドラマを盛り込めるか。書き手と読み手が、どうその感動を共有できるか。そこらへんが妙味でしょうか、あくまで一般論ですが。