プロを訪ねて三千里【第10回】谷口智彦氏(前編)(内閣官房参与)
「長期戦」に挑むアベノミクス リスクの多い世界でどう安定保つ

安倍政権の経済政策「アベノミクス」は、真価が問われる局面です。安保や憲法といった硬派の政治課題が前へ出るにつれ、外国人投資家には「経済軽視」だと失望する向きもあります。安倍首相は何を考え、どこに行こうとしているのか。谷口智彦・内閣官房参与に伺ったお話を、前後編に分けてお届けします。

  • ※今回はソニーフィナンシャルホールディングス シニアフェロー チーフエコノミスト・菅野雅明を加えた鼎談としてお届けします。
谷口智彦(たにぐち・ともひこ)氏 プロフィール

内閣官房参与
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授

東京大学法学部第三類卒業後、雑誌『日経ビジネス』記者を約20年。その間にプリンストン大学フルブライト客員研究員、ロンドン外国特派員協会会長、上海国際問題研究所客座研究員、ブルッキングズ研究所招聘給費研究員を務める。その後、外務省外務副報道官、JR東海常勤顧問、明治大学国際日本学部客員教授などを務め、第2期安倍政権発足後、2013年2月から総理官邸に入り内閣審議官。2014年4月より現職。著書に『通貨燃ゆ−円・元・ドル・ユーロの同時代史』、『上海新風−路地裏から見た経済成長』、『日本の立ち位置がわかる国際情勢のレッスン』、『金が通貨になる』、『明日を拓く現代史』など。BBCなど英語国際報道への出演多数。

「経済軽視」でないその理由

  • 菅野

    安倍政権は昨今、変調気味です。都議会選挙では閣僚や自民党国会議員の弛みが露見し、自民党が惨敗を喫しました。2017年春の通常国会で、テロ対策という硬派の政策に焦点が当たったこともあり、海外投資家の一部からは、経済を軽視していると懸念も聞こえます。

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  • 谷口

    外国から来る投資家たちが、安倍首相について話を聞かせてくれといってくると、断らずに会うことにしています。そういう声が「一部」どころか、「けっこう」あるのを知っています。彼らはどうも、首相のアタマは小部屋に分かれていて、首相自身、安保や憲法の部屋に行きたがると思っている。経済の大部屋でしっかり働いてくれと、そういいたいようなのです。

    でもそんな「コンパートメント」は、一国をあずかる指導者のアタマにあるものでしょうか。国を強くしようとしたら、教育、科学、福祉、そしてウソ偽りのない憲法や頼りになる防衛力がみな必要ですが、どれを進めるにも堅牢な経済がないと始まりません。何を強化するにせよ、問題は常に、経済に戻ってきます。

    とくに4年、5年と政権にいると、日本が抱える根深い問題を何とかしたいという意欲が、覚悟の域に達し、強まるので、発想が長期になります。

    高速道路で長いトンネルに入ると、天井や壁のライトが一直線になって連なり、上から左右から、前方の一点に集まります。その先が出口です。安倍総理が毎朝、「よし今日も頑張ろう」と自分を奮い立たせるとき思い浮かべるのは、そういう絵じゃないか。目指す先にあるのは、2025年とか、2050年。そこらをにらんで、自分ができるうちに、どこまで駆けて走って日本を強くし、次世代に渡せるだろうかと、考えているんだと思います。

  • 2025年になると、団塊世代がみな75歳以上です。福祉の負担が財政を目に見えて圧迫します。それまでに、日本経済を成長軌道に乗せ直せるかどうか。

  • そして2049年が、中華人民共和国発足百周年です。人類史に空前、おそらくは絶後の速度で発展し、同時に軍事・核ミサイル大国ともなった中国が、それまでにどんな変転を経るでしょう。たぶん習近平さんにすら、わかりません。日本はすぐお隣に、いわば人類史的不確定要因を抱えているのですから、リスク管理を怠れません。まずは孤立を避けて米国、豪州、インドといった頼れる民主主義の仲間と固くつながりながら、自分の足腰を鍛え続けるということじゃないでしょうか。足腰を鍛えるというのが、これまた経済力の立て直しになります。

  • 菅野

    日本経済は雇用面での改善が著しく、アベノミクスは一定の成果を挙げたといえます。しかし消費がいっこうに伸びません。

  • 谷口

    経済学の教科書は、成長をもたらすのは(1)資本ストック、(2)労働投入、そして(3)労働生産性、この三要素の向上だと書いています。アベノミクスは、三要素それぞれを伸ばそうとしてきました。

    法人税を、国際競争力がある水準に下げました。懲罰的に高かった円相場は下がりました。金融緩和で、資金はかつてなく潤沢です。これらが(1)に働きかける政策で、企業に設備投資を促すことです。

    女性が働きやすいよう、種々手を打った結果、女性就業率が米国をしのぐまでになりました。母親たちがかつてなく働きだして、保育所不足が深まるという皮肉な結果を生んだくらいです。外国人が働きに来やすい仕組みも含め、これらは(2)を増やそうとする政策です。

    また、いろいろな労働形態を認め、年齢、性別その他にかかわらず働けるよう仕向けていくことや、経営層に女性をたくさん入れていくよう促すことなどは、仕事の仕方それ自体を変えていきながら、結果として(3)の生産性向上につながることを期待しています。海外から直接投資を呼び込む政策も、同じ系譜に位置づけられます。

    つまり政策は、難しいものを含め、揃えている。それなのに消費が伸びない。だから消費者物価が顕著に上がらず、デフレは消えても、先行き物価が上がる見込みが出ません。それは、(1)(2)(3)の各要素より前に、大前提があって、未来への「期待」が明るくないと、設備投資も消費も伸びないという根本的な問題があるからだと思います。

    明日、明後日はともかく、10年、20年、いや50年先となると、日本の将来について明るい期待は持てないというのが、実は国民心理の公約数で、そんな心理が英語でいう「セキュラー(長く根を張った)」な状態になっているところに、原因があるのじゃないか。社会の老齢化、少子化が進む中で長期的期待を前向きに変えるのは、なまなかなことではない。思い知らされた気がしています。

    即効薬などありえません。やはり何もかもが関連している。初めにこれ、次にこれというように、きれいなシーケンス(手順)はないんですね。

    そこで私は、アベノミクスは「長い闘い(ロング・ゲーム)」に挑んでいるのだから、その肝心要は、政権における3つのCだといっています。怠けず献身するという意味の「コミットメント」、一貫性という意味の「コンシステンシー」、そして始めたものは続けるという継続性の「コンティニュイティー」、その、3つのCです。都議会議員選挙で自民党が一敗地に塗れたからといって、3つのCでやるよりない事実は変わりません。

  • 尾河

    いまのお話に、「政策には難しいものも含めた」とありました。永住ビザを取りやすくしたのなどが、それに当たりますか。

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  • 谷口

    法務省の公開資料をご覧になればすぐわかりますが、ポイント制というものを導入し、30ポイント以上もっている外国人だと、日本で1年働けば、いわゆる永住ビザを申請できるようになりました。今年4月に、そう変わったんです。

    博士号をもっていて、年齢が30代前半で、年収が1000万円以上。仮にそういう人がいたら、それだけで30ポイントで、有資格者です。たったの1年で「グリーンカード」が取れるのは、世界最速クラスです。米国でも欧州でも、こうはいきません。

  • 尾河

    わたしとは関係ない、と思う人もいるんじゃないでしょうか。

  • 谷口

    金融、コンサルティングなど、業種に偏りが出るかもしれませんが、彼らの多くは英語で仕事をし、それゆえ発信力旺盛な人々です。強力な放送局を、たくさん誘致するんだと思うことができる。いわゆるナニーや、お手伝いさんを雇おうとする意欲、能力ともにありますから、フィリピン、インドネシアなどからの人材を、旺盛に吸収してもくれるでしょう。

    日本の外国人政策は、明らかに歴史的転換を遂げました。安倍首相におけるリアリズムが、なさせたわざだと思います。そろそろ、日本の国柄について、深い議論が必要なときかもしれません。真剣なメディアなら、必ず取り上げるべきテーマだと思います。

地政学リスクの対応、悲観論必要なし

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  • 尾河

    昨年の英国民投票によるEU離脱派の勝利や米国におけるトランプ政権の誕生など、世界中で不透明感が強まった印象がある中、安倍政権の安定を評価する声が外国にはありますね。

  • 谷口

    ポピュリズムの荒波が世界の岸辺を洗う中、日本はさしずめ、ひとり安定した島といったところでしょうか。マクロの視点から投資先を選定する人ほど、日本のことをそう思ってくれているようです。

    「3つのC」を買ってくれている。政治の安定は、金利の低位安定を支える土台でもあるのですから、そろそろ安定に倦んだから、ここらでいっちょ波乱を、などという無責任な政治姿勢は、かりそめにもあってはならないと思うのですが、いかがでしょう。

  • 菅野

    ご指摘のとおり、地政学的環境のいかんはわが国の存立にとって大問題ですから、日本経済にも大きな影響を及ぼします。わが国の外交や安保は、どうあるべきだとお考えですか。

  • 谷口

    論評を事とする人なら別ですが、首相のように指導する立場の人間は、悲観論者になれません。首をうなだれているようだと、会社も国も導けませんよね。また実際、日本の周囲に心配すべきことは少なくないのだとしても、悲観論に染まる必要などどこにもありません。

    日本の民主主義は、世界のどの民主主義とも同様、正すべきところを抱えているとはいえ、成熟したものです。民主主義は特殊な生物で、オトナになるのに何世代もかかりますが、日本はそれだけの時を経て来ました。そして人類史に、民主主義に勝る政治制度は結局のところありませんから、日本は、自分の旗が立派な旗だと安心していることができます。

    加えて日本は、世界最強の民主主義国・米国と同盟関係を結び、同盟はその齢(よわい)、65年。歴史に特筆される長さを誇ります。近年、豪州、インドといった価値観を共にする国々とも、関係をとみに深めています。これを一言でいうと、頼もしい友達をたくさん日本はもっています。

    とりわけ米国との同盟は、国益が合致しているというドライな損得勘定を超えて、酸いも甘いも噛み分けて今日に至った経緯がありますから、精神的にも安定した同盟です。両国で世論調査をすれば、いつも6〜7割の人が、相手国を信頼できると答えるのがその証拠です。ですから目先の変化にうろたえる必要などどこにもないと、安倍首相は見ているはずです。

  • 尾河

    長期的にそうなのだとしても、目先、北朝鮮や中国との関係で、不測の事態が起こるかもしれないとの不安が国民にはあります。

  • 谷口

    不安はもっともだとして、では一気に防衛予算を増やし、軍事強国を目指すべきなのか。安倍政権はそちらに日本を引っ張っていこうとしているんだという人たちが、中国や韓国、国内にもありますが、これほどためにする議論も珍しいのではないでしょうか。

    世界の5大軍事支出国というと、米国が突出していて、2位以下は中国、サウジアラビア、ロシアと英国といったところです。それら5大国の軍事予算を合わせたその合計額よりも、わが国が福祉につぎこんでいる予算の方が、規模にして大きいのです。これこそわが国を縛り続ける予算制約で、どんな項目にしたって、前年比2%以上伸ばすことなんかできません。例えば平成29年度予算で財務省は科学技術予算を厚くしましたが、どれだけ増えたかというと、前年比0.9%です。それが実状。

    防衛予算、海上保安庁予算など少しずつ増やしてはいるものの、一気に軍事大国になるなど無理も無理。ですからこそ、外交力をフルにいかし、世界中の民主主義国と堅固なつながりをもつことが大切になるわけです。

  • 菅野

    政治の安定は、金利の低位安定を支える土台だとのお話でした。外交の安定も、同じような意味をもつのだとはいえませんか。

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  • 谷口

    わたしのところへ来る外国の投資家は、安倍首相が何を考えているかと同時に、日本の国際環境について聞きたがります。長期のカネを、日本に入れていいだろうか。その判断をつけるに際して、日本の「ご近所」がどうなっているか、知りたいと思うのは当然ですね。

    国債はノーリスクだといわれます。それは国家が安定して存在し、税金を徴収し続けるだろうと考えて、初めて成り立つ前提です。その、国家の安定を支えるものが最も広義の国力で、ここに外交や防衛の力が入ってくるわけですから、国際環境を安定させる外交・防衛の力も、経済的な意味、まことに大きいというべきだと思います。もっというと、いつでも逃げ出す用意をしたくなるような国で、子供が増えるとは思えません。

日本は「静かなる革命」を経た

  • 菅野

    メディアでは「官邸一強」とか、「安倍一強」とかいわれています。その驕りが、都議会議員選挙の惨敗になったとする指摘もありますね。

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  • 谷口

    官僚から力を奪い、政治主導にすべきだと高唱した当のその人たちの中に、安倍官邸が力をつけたといって難詰する向きがあるのは、理解に苦しみます。役人が、通達だの指導だの不透明なやり方で参入を規制したり、市場原理をゆがめたりするという、まさにそこを正そうとして、日本はこの四半世紀、試行錯誤を重ねてきたのじゃないでしょうか。

    「一強」の対義語というと、「多極分散」でしょうか。とするとそれは、永田町、霞が関、大手町の「鉄の三角形」が、三方平衡を保った「55年体制」こそ、その最たるものでした。でもあの「多極分散」は、もう戻ってきません。なぜなら日本は、経済において失われたこの20数年の間、制度面で「静かなる革命」と呼びたくなる変化を経てきたからです。

  • 財務省がよい例で、金融機関の指導権は完全に喪失したうえ、予算編成も内閣府との分業になりました。かつては大手銀行・証券会社にMOF担なる人々がいて、大蔵官僚と呑むのが業務の一環でしたが、そんなことをする必要は、もうありません。一方、時価会計を取り入れ、株主からの訴訟も怖い企業にも、接待に使う潤沢なおカネなどありません。

    小選挙区制が入って、自民党の派閥は集金集票装置としての意味を失いました。高級官僚の人事は、各省ともボスの意向で決まっていた。今は内閣府が決めています。こうした「静かなる革命」が進み、官邸の意向を通す土台が出来上がっていた。安倍政権は、そこに初めて登場した本格政権だったと、そういえば整理できるとわたしなど見ています。

  • ※次回、後編(2017年8月上旬配信予定)では、世界が注目する日本文化について、アベノミスクが掲げる「働き方改革」の本質、そして良いスピーチとはを伺います。お楽しみに!