ストーリー

優れた耐久性を持つスクールバッグ製造技術をベースに「楽しい」をプラスした独自性の高いバッグであらたなマーケットを創出する

日清戦争から3年後の1897年、創業者の片岡又平氏が兵庫県豊岡市から軍港として栄えていた広島に移住し、柳行李・旅行具製造販売会社として合資会社片岡商店を設立。第二次世界大戦の戦時体制下では、陸軍の被服廠の協力工場として稼働するため業務の中断を余儀なくされ、原爆投下によって焼け野原となった地で復興を果たした。幾多の苦難を乗り越え、戦後は旅行カバン・袋物・雨具卸業として営業を再開。現在は、耐久性に優れたスクールバッグを中心に、ユニークなバッグの商品開発で海外からも注目を集める株式会社片岡商店。120年超におよぶ歴史を守り続ける同社の片岡功社長、5代目の継承者となる取締役の片岡勧氏に、事業内容やものづくりへの想い、今後の展望についてお話をうかがった。

あらたなスクールバッグの開発で事業に光明を見出す

片岡功社長が家業を継いだのは1974(昭和49)年のこと。前年から始まったオイルショックによって景気は悪化する一方だったが、祖業である旅行カバンや袋物・雨具に加え、合成皮革の学生カバンの卸業を継続することで、厳しいなりにも経営を維持していた。特に広島市内の中学校・高校用に卸売りしていた学生カバンは同社の事業の柱となっていた。ところが、学生カバンの価格は毎年のように値上げが続いていたという。
「当時は毎年値上げするというような状況だったので、学校に対して申し訳ない気持ちになりました。実際、営業もやりにくくなっていたので、どうしたものかと苦慮していました。」

そう語る功社長に名案が浮かぶ。1970年代に大ヒットしたスポーツバッグ、通称「マジソンバッグ」の商標登録が切れることを耳にしたことをきっかけに、このバッグをベースにスクールバッグを試作して学校に提案したのである。その後、先生や保護者の要望をヒアリングしながら改良を行い、軽量で耐久性に優れ、なおかつリーズナブルな価格のスクールバッグが完成。結果、市内の多くの学校で採用されることとなり、1980年代以降、スクールバッグは同社を代表する商品へと成長していく。また、万一商品が破損した場合は代品を準備するほか修理にも対応。徹底した顧客第一主義を貫いていった。それは経営者というよりも、カバン職人としての功社長の矜持であり信念でもあった。
「使う人の立場になって、できる限りお客さまに満足していただけるもの、買ってよかったと思ってもらえるバッグを作ることを第一に考えてきました。そのためにはコツコツやるしかない。それが会社や商品の信用につながっていくと思うんです。気を抜いて、いい加減な仕事をすると何十年もかけて築いた信用を一瞬で失ってしまう。そうならないようバッグの修理にも真摯に対応してきました。工賃なんかは度外視して仕事をしていたので、妻からは『ボランティアじゃないんだから。』と怒られることもありましたけれど(笑)。」
カバン職人として愚直なまでにお客さまに寄り添いながら経営を続けてきた功社長だったが、自身の高齢化なども重なり、次第に廃業を考えるようになっていった。

120年以上続く家業を継続するべく長男の勧氏が事業を承継

片岡家の長男であり、現在は同社の取締役として事業を牽引する勧氏だが、もともと家業を承継するつもりはなかったという。勧氏は大学卒業後、重機械メーカーなどを経て、2016年に法人向けのWEBマーケティング事業を立ち上げ、東京で活動していた。そんな勧氏の元に功社長からの連絡が届いたのは2020年のことだった。
「父が約20年弱も続いた取引先からの引き合いを断ったというんです。高齢になったことで以前のようには仕事ができないので事業を畳むことを考えていると。そこで弟を交えて家族会議を行ったのですが、いよいよ最終決断として僕が継がなければ廃業せざるを得ないという話になったんです。葛藤はありましたが、やはり120年以上続く家業でもありますし、自分が何もしなかったら先祖に怒られそうな気がしまして(笑)。できるだけのことをやって、それでダメだったら廃業するしかない。とりあえず、やってみようと覚悟を決めました。」

2021年8月、勧氏は5代目として家業を承継するため片岡商店に入社。事業の立て直しに着手する中で、スクールバッグを卸していた業者との古い商習慣による不平等取引ともいうべき契約が経営を圧迫していることに気づいたという。
「スクールバッグに関しては直販している学校もありましたが、昔からの取引先を通じて学校に納める間接販売が多く、その売上が会社の売上の約30%を占めていました。ところが、10年以上も値上げを受け入れてもらえず、学校販売で余ったものは全部返品されるような取引が続いていたんです。弁護士さんに相談しながら取引条件の改善を申し入れたのですが、取引先に拒否されてしまい、結果的に決別することになったんです。」
取引先との決別という思いも寄らぬ事態に陥ってしまったが、ここで勧氏は持ち前のバイタリティと行動力を発揮する。もともと間接販売で取引のあった市内の中学校に飛び込み営業を行い、10校との直接取引を実現させた。この直販化により、売上を維持しながら粗利率を大幅に改善させることに成功したのである。これは長い間、卸売をメインにしていた同社が大きく舵を切った瞬間でもあった。

「中学生に3年シゴかれても壊れない」をキャッチフレーズにあらたな市場を開拓

片岡商店の強みは、「(ヤンチャな)中学生に3年シゴかれても壊れない」をキャッチフレーズにしたスクールバッグに代表される堅牢で耐久性の高い商品づくりにある。その優れた品質特性をバックボーンに、勧氏は学校以外の分野にも販路を開拓。その一例が、サバイバルゲーム物販イベントへの出展である。スクールバッグをカスタムした同社の商品はSNSでも取り上げられ大きな話題となった。

また、中学校用に販売している補助バッグをベースに勧氏が開発したビジネスA4サブバッグ「さよなら紙袋」は、その機能性に加え、渋谷ロフトやハンズ広島でのポップアップイベントで販売されたことでも注目を集めて、現在同社の看板商品となっている。
「もともと『さよなら紙袋』は知り合いを通じて、法人向け生命保険会社から製作を依頼された営業用のサブバッグがベースとなっているんです。中学校用の補助バッグをサンプルとしてお出ししたところ『これがいい!』ということになりまして。そこでサイズや素材を若干調整したものを提案した結果、大量受注に至りました。受注の理由をお客さまにヒアリングしていくうちに、これは一般消費者向けのニーズに応える商品になるなと思い、色展開を増やして発売することにしたのです。」

「さよなら紙袋」は全7色をラインアップ。色ごとに「戦艦大和グレー」や「鞆の浦ブルー」など広島にちなんだ遊び心のあるネーミングがされており、2024年10月末現在で約2,700個を販売するヒット商品となっている。消費者ニーズを反映した商品づくりやユニークなネーミングには、企業でマーケターを経験してきた勧氏の感性が活かされているが、カバン職人として実直に事業に携わってきた功社長の信念、今の時代を読み取る勧氏のマーケティング力が融合したことで誕生した片岡商店の看板商品である。
また、勧氏の趣味が反映されたユニークな商品が、印刷不良で廃棄される米袋を再利用した「水切り石バッグ」。このバッグは、今年ドイツで開催された「第1回国際水切りトーナメント大会」の賞品に採用されたことで、海外からの問い合わせもあるという。

「大阪の米袋メーカーであるシコー株式会社さんと、廃棄される米袋をエコバッグに再生するワークショップを2年前から市内の中学校で行っているのですが、そのときに出る端材を使い、私が趣味で取り組んでいた水切りに使う石を入れるバッグとしてつくったのが『水切り石バッグ』なんです。これが頑丈なので、石を詰めて地面に叩きつける動画をInstagramにアップしたところ、ドイツの人から『これを売ってくれ!』とメッセージをいただいたんですよ。その人が水切り大会の主催者だったのでスポンサードという形で商品を提供したところ、国内の人からも『買いたい!』と連絡をいただいたり、アメリカの人からもお買い上げいただいたり。とてもニッチな趣味の世界に向けた商品なので大きな売上になっているわけではありませんが、ありがたいことに多くの人に面白がっていただけていることが個人的にはうれしいですね。」
まだまだ市場規模は小さいが、優れた耐久性と独自性が高い同社のバッグは国内のみならず海外でも着実にコアなファンをつかみつつある一例といえるだろう。

優れた品質をバックボーンに「面白い」を付加した商品づくりを目指す

現在、同社の商品は店内での販売や自社サイトでの通販のほか、BEAMSとのコラボ商品に代表される小売業者への卸売が中心となっている。また、「さよなら紙袋」に関しては、越境ECプラットフォームを通じて香港や台湾での販売も進んでいるという。
「縫製品は海外から輸入されるケースが多いのですが、逆に日本の縫製品を海外に輸出することに取り組んでいきたいと考えています。事業規模としては小さなものですが、事業の芽のようなものは育ちはじめているように感じています。」

そう語る勧氏が描いている片岡商店の未来とは、どのようなものなのだろうか。
「弊社の強みは何なのかを考えていて生まれたのが『(ヤンチャな)中学生に3年シゴかれても壊れない』というキャッチフレーズのスクールバッグなのですが、やはり耐久性が一番大きな製品価値であり企業価値だと思っています。そこを軸に学校用だけではなく、一般消費者であったり、あるいは建設や土木の現場で使っていただけるような工具入れバッグであるとか、これまでとは違う市場でのインフラに携わる商品開発を展開できればと考えています。社長の信念である『お客さまに寄り添う商品づくり』は維持しつつ、中長期的に成立するビジネスや商流を作ることが5代目である自分に課せられた使命であると思っています。ただ、私自身は、単純に物をつくって売るのではなく、『面白い』ということを重要視しているんですね。米袋を活用した『水切り石バッグ』もそうですが、将来的には『面白い』という価値観のもと集ったメンバーと一緒に、ユニークなインフラ商品を作って販売することを実現できればと考えています。」
100年を超える歴史を持つ老舗企業が、祖業を継続したまま存続していくのは難しい。まさに片岡商店が数年前まで抱えていた課題でもある。だが、勧氏が5代目として事業を承継することによって、大切にすべき会社のフィロソフィーを守り続ける一方で、あらたな価値観を付加した商品作りとマーケットの開拓に取り組みはじめている。その一歩はまだ小さなものかもしれないが、いくつものステップを繰り返しながら進み続けていくのではないか。「頑丈でユニークなバッグと言えば広島の片岡商店」と多くの人に認知される未来に期待したい。