ストーリー
宝暦元年(1751年)に創業以来、神戸・御影の地で270年以上にわたって良質な日本酒づくりを行っている株式会社神戸酒心館。1995年に発生した阪神・淡路大震災によって同社は大きな被害を受けたが、各方面からの支援を受けて復興を果たした。以来、地域の持続的な発展への貢献に加え、酒蔵としては例のないサステナブル経営へと舵を切り、環境価値と経済価値の両立を実現するため、さまざまな取り組みに挑戦している。近年、海外で日本酒がブームとなっているが、それ以前から海外のマーケット開拓に積極的に取り組んだことで、いち早く同社の「福寿」は世界から高い評価を受けることとなった。そんな同社が取り組むサステナブル経営とは、その先に描いている未来とは。事業を牽引する13代目蔵元・安福武之助氏に話をうかがった。
世界からも高い評価を受けている先進的なサステナブル経営
古くから伝統的な技法によって日本酒づくりを行ってきた同社が、手づくりにこだわりながらもデータや機械を活用した効率性の高い生産へと移行したのは、杜氏制度を廃止した2007年のことだった。伝統産業全体の課題でもある職人の高齢化が原因だったという。
「私は2003年に家業を継ぐため、それまで勤めていた会社を辞めて入社したのですが、その頃はまだ但馬杜氏と呼ばれる職人さんが蔵に来られて、本当に良いお酒をつくってくださっていました。しかし、その頃で70代半ばのかたでしたから、5年後10年後はどうなるのかと非常に危機感を覚えていました。そこで、経験や勘に頼らずに高品質なお酒を安定供給するために杜氏制度を廃止し、管理プロセスのデータ化を進めることで杜氏から社員による酒づくりへと移行したのです。ただし、麹づくりや酵母づくり、仕込みなどの重要な段階では、やはり手づくりであったり、五感を生かすことが欠かせません。そのため、数値化された作業データを見ながら社員が五感でお酒をつくっていくことに時間と労力を集中させ、現在の生産ラインを構築しました。」
人の手で行うべき作業以外は機械化を進めることで生産性が向上。それにより、醸造期間中の長時間労働が改善されるなど働き方改革にもつながる副産物を生む結果ともなった。また麹づくりに使用していた杉の箱をプラスチックに変えたり、温度調節用に使う布を機能性の高いゴアテックスに変更するなどのイノベーションにより、社員だけでも杜氏と同じレベルの酒づくりが可能になったという。安福氏による改革はこれだけではない。老朽化した機械の更新タイミングで温湿度コントロールのための冷凍機やエコノマイザー付きボイラーといった熱源設備を導入。水は節水型の機械を導入するなど徹底的なエネルギーマネジメントによって、環境価値と経済価値の両立を目指す同社のサステナブル経営の礎ができたのである。また、同社の取り組みは、国内においては2019年の「エコプロアワード」にて日本酒の蔵元として初となる財務大臣賞を受賞。2020年にはイギリスのTHE DRINKS BUSINESS社が主催する「グリーンアワード」にて「ウォーターマネジメントアワード」を受賞するとともに世界のトップ3のエシカル・カンパニーに選ばれるなど国内外で高い評価を受けている。
海外に活路を見出し、欧米とアジアを中心に15の国・地域に日本酒を輸出
安福氏がサステナブル経営に方針を転換したのは、日本酒造組合中央会の海外戦略委員として日本酒のプロモーション活動を行うため、ヨーロッパで開催されるワインの見本市などの視察を通じて、先進的なワインメーカーによるサステナビリティに関する取り組みを知ったことがきっかけだったという。
「国際的なワイン見本市や展示会では、世界的に知られる有名なブランドが出店する派手な世界がある一方で、環境へのコミットメントや品質などを競い合うコンクールが実施されています。そのなかで先進的なワインメーカーは『環境に優しい地域の実現』に向けて、水の使い方や節電などの省エネからボトルの軽量化、輸送方法の改善に至るまで、ワインの生産に関わるすべての工程を詳細に見直し、総合的な持続可能な生産ラインの構築に成功していることを知ったのです。しかし、日本では、環境への配慮を重視した日本酒づくりも、そのようなサステナブルな取り組みを付加価値につなげていく戦略も議論されていない現状でした。日本酒の国内市場がどんどん縮小しているなか、海外のマーケットに活路を見出すには、高級化路線とサステナビリティが成長の鍵であると考え、サステナブル経営による高付加価値戦略へと舵を切ることにしたのです。」
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことを機に、海外で日本の食文化が注目されると共に日本酒人気も急上昇している。それは、神戸酒心館の商品である「福寿」にも言えることである。現在、同社の商品は欧米とアジアを中心に15を超える国・地域に輸出され、2021年には過去最高の輸出金額を達成するなど高い評価を受けている。そのきっかけになったのが、ノーベル賞の公式行事で「福寿 純米吟醸」が提供されたことも関係している。同社では20年ほど前からスウェーデンに日本酒を輸出しているが、現地の輸入販売元の社長が著名なソムリエであり、ノーベル賞の公式行事用アルコールをコーディネートする役割を担っていたという。その縁から2008年より「福寿 純米吟醸」が提供されるようになったのである。
環境価値と経済価値の両立を実現した世界初のカーボンゼロ日本酒が誕生
2022年10月、同社は世界初(※2022年10月 神戸酒心館調べ)のカーボンゼロ日本酒「福寿 純米酒 エコゼロ」を発売。なお、同商品は日本酒の製造工程においてカーボンゼロを達成しただけではなく、原料として使用する酒米の精米歩合を変更することによってCO2排出量の削減にも成功。「きょうかい乾燥酵母」と言われる特別な酵母を使用することで醸造日数を大幅に短縮するなど、徹底した環境負荷の低減に取り組んだ商品である。
「ノーベル賞の公式行事に『福寿 純米吟醸』が提供された影響もあってか、2010年から7年間で生産量は約3倍に拡大しました。生産量が3倍に増えるということは、当然エネルギーの使用量も水の使用量も3倍になるわけですが、弊社ではエネルギー使用量は7年間でマイナス12%、CO2排出量も7年間でマイナス12%を実現。水の使用量も35%の増加に抑えることができました。カーボンゼロ達成を目指すために省エネ型の機械を導入したり、再生可能エネルギーにスイッチすることは簡単かもしませんが、高コストになっても、しっかり利益を確保しつつ、持続可能な構造を築くことができるかどうかがポイントだと思うのです。私たちが目指す『環境価値と経済価値の両立』を実現したアイコン的な商品が『福寿 純米酒 エコゼロ』だと考えています。」
現在、この商品に限らず同社のすべての商品がカーボンゼロを達成しているのだとか。だが、消費者の環境配慮型商品への興味関心は高まっているものの、なかなか消費に繋がっていない現状がある。どんなに企業が努力をしても、われわれ消費者の行動変容が起こらなければ脱炭素社会の実現は難しいのかもしれない。そんな状況ではあっても同社はサステナブル経営を通して、理想の未来を描き続けていくという。
「2051年に弊社は創業300年を迎えますが、そのときを迎えても、おいしいお酒をつくり続ける酒蔵でありたいと考えています。日本では2050年にカーボンニュートラルを目指すと宣言されていますが、私たちもそこに向けて、おいしさのクオリティ追求だけではなく、持続的な生産にも目を向けなければいけない。それが今なのではないかと思うのです。今からアクションを起こして環境価値と経済価値が両立するサステナブル経営を確立する。これは私たちだけの問題ではなく、酒蔵の継承と発展につなげていくために必要な業界全体の話だと思うのです。そのためにも弊社がひとつの成功事例になることが重要だと考えています。」
創業以来、同社のお酒は六甲山系からの伏流水であり、古くから酒づくりの名水として知られる「宮水」が使われている。自然によって育まれてきた企業であるからこそ、自然に感謝し、大切にしたいと考えているのである。温暖化から灼熱化へと変貌した地球環境を、より豊かな姿へと取り戻すためにも同社の取り組みに注目にしていきたい。