ストーリー

「おいしい酒づくり、たのしい場づくり」で地域を元気にする観光蔵へ!

千葉県印旛郡酒々井町にて江戸元禄年間に創業。以来300年以上にわたり、この地で日本酒づくりを行っている株式会社飯沼本家。原料となる米は特殊な製法を用いた自家製米、水は敷地内の井戸水を使用するなど伝統的な酒づくりの手法を守りながらも、時代や社会のニーズを意識した多彩な商品ラインアップを展開しているほか、商品のブランディングにも注力。また、日本酒づくりにとどまらず、敷地内でカフェやレストラン、農園やキャンプ施設なども運営。その目的は自社の成長だけではなく、古くから地域に根ざした酒蔵として、全国に酒々井をPRすること。その実現に向け、人が集まる「観光蔵」を目指しているという同社の専務取締役の飯沼一喜氏に、他の酒蔵にはない先進的な取り組みと未来への展望をうかがった。

リブランディングによって定番商品にあらたな価値を創出することに成功

定番商品の『甲子(きのえね)』をはじめ、各種季節商品、梅酒や本格焼酎など、飯沼本家の商品ラインアップは地方の酒蔵としては驚くほど多彩だ。その背景にあるのは、伝統的な酒づくりの手法を守るとともに、常に新しいタイプの酒づくりにチャレンジするという精神。型にとらわれることなく、現代の食や嗜好にあった酒づくりを同社が行うようになったのは、専務取締役の飯沼氏の存在が大きい。近い将来、16代目として会社の代表者となる飯沼氏の経歴は、酒蔵の跡取りとしては異色なものだ。大学卒業後、一般企業に就職し、医薬品関連の営業職として5年間勤務。佐賀の酒蔵で半年間の修行を積み、その後アメリカに1年半留学。異国でのビジネス経験を経て、2016年から現職に就いている。

「いずれは家業を継ぐことになるだろうとは考えていましたが、特にそのタイミングを決めていたわけではありませんでした。ただ、5年ほど営業の仕事を続けていく中で基本的な営業スキルを身に付けることができたと感じ、家業に入ることを決意しました。私が一般企業で働いていた当時、医薬品業界は約8兆円と言われる市場で、取引先も上場企業ばかり。一方、地酒市場は大手を含めても約2000億円の市場で、家族経営のような中小企業がほとんどです。市場規模は大きく異なりますが、それはそれで面白い。とてもやりがいがあるな、と感じました。」
本人は謙遜するが、外の世界を見てきた経験が現在の経営戦略に生きており、ブランディングを重視している点や実行力は異業種での営業経験を通じて培われたのではないかと感じられる。そのひとつが、多彩な商品ラインアップへの取り組みである。

「以前から販売していた商品も、外部のプロダクトデザイナーと組んで和モダンなデザインに変更し、見せ方やスペック、販売動線も含めて商品コンセプトをセットアップしていきました。まずは季節商品からリブランディングを進めており、今後は定番商品も本格的に実施する予定です。また、ブランドコミュニケーションとして、新しく作成したロゴを全面的に打ち出す施策も展開していきます。」
初搾りの純米大吟醸をその日のうちに届ける『酒々井の夜明け』も、以前から販売していた商品を『年に一度の日本酒ヌーボー』とリブランディングし、ボトルデザインも一新して販売。現在、同社の中でトップセールスを誇る商品へと生まれ変わった。また、新しいタイプの酒づくりも積極的に展開。その代表的な商品が、りんご酸多産性酵母を使用することで爽やかな酸味と甘みが調和した新感覚の純米吟醸酒『きのえねアップル』。このように、新旧織り交ぜた多彩な商品開発力が、同社の特徴であり強みである。

ショップ、レストラン、観光農園などを併設し「観光蔵」としての機能を付加

飯沼本家が一般的な酒蔵と異なる点は、「観光蔵」を目指すため、敷地内にさまざまな施設を有していることだ。店舗は、1階にショップやカフェ、2階にアート作品を展示するギャラリーを併設した「きのえね まがり家」、飯沼家の当主家族が住み継いできた築約300年の母屋を改修した和食レストラン「きのえねomoya」の2つ。「きのえねomoya」では酒と二十四節気料理を味わうことができ、敷地内にある6つの建造物とともに国の登録有形文化財に指定されている。

さらに、テントを常設したキャンプ施設「きのえね SAKE CAMP」、夏にはブルーベリーの摘み取り体験ができる「きのえね農園」、田植えや稲刈り体験ができる自社水田を持つなど、幅広い層を集客するためにさまざまな取り組みを行っている。
「他の地域にある観光蔵というのは、そもそも観光地にあるのですが、弊社がある酒々井は人口が約2万人で東京からも遠いため、アウトレット施設ができるまでは知名度が低い町だったのです。そのため、人を呼び込む戦略として、酒蔵以外の機能を付加した施設の運営を始めました。こういう活動をしている酒蔵はあまりないので、それがひとつの強みであると思っています。」
来客者はコロナ影響下の状況でも年々増加し、ショップ「きのえね まがり家」には月平均で約2000人、レストラン「きのえねomoya」には約500人が訪れているという。

「安近短の旅行のような感覚で来てくださったかたが多いのではないかと考えています。コロナ禍で家飲みが少し流行りましたが、それならば蔵元の直売で購入したものを飲みたい、といった心理もあるのかなと思います。また、つい先日のことですが、タイの大学生75名が、バスツアーで弊社の酒蔵見学にいらしたのです。今のところインバウンド観光客向けの取り組みは行っていませんが、日本国内でもブルワリーツアーが注目されていますので、今後は旅行代理店と連携するなど、集客活動を進める予定です。」
毎年2~3月の寒仕込み時期に同社が実施している酒づくり体験「Make Sake Project」も集客活動のひとつ。参加者が実際に蔵に入り、酒づくりの工程の一部を蔵人と共に体験し、でき上がった酒は後日届けられるというイベントである。
「通常、酒造メーカーが直接お客さまと触れ合う機会はほとんどありませんが、弊社ではさまざまな体験イベントを通じて触れ合える。その機会をこちらから発信できますので、それがブランドとの接点にもなる。参加されたお客さまからの反応は非常に良いですし、リピーターになってくださるかたもいらっしゃいます。短期的には大きな収益には結び付きませんが、長く続けていくことで効果が上がっていくと考えています。」
ただ商品をPRするだけではなく、付加価値や体験を提供することで飯沼本家のファンを増やしていく。このような戦略をひとつの酒蔵が単独で行うのは非常にチャレンジングだが、それを実現しているのが飯沼本家の強みであり、事業を牽引する飯沼氏の実行力の賜物である。

過去の常識にとらわれない革新的な施策で来蔵人数ナンバーワンの「観光蔵」に挑戦

古くから酒々井で酒づくりを行ってきた飯沼本家には、地域への貢献という強い思いがある。それは他の地域から人を呼び込むことで経済効果をもたらすだけではない。自然豊かな景観を守ることも、地域への貢献と考えているという。
「このエリアでも、農家さんの高齢化による廃業と耕作放棄地の増加が課題となっています。そこでわれわれは、その課題解決として酒米組合をつくりました。この組合が一定量のお米を酒々井と八街の農家さんから買い上げることで、農家さんの収入安定化と事業存続、耕作地の維持につながっているのです。このような活動を積極的にやっていくことも地域貢献になるという考えが弊社にはあり、エリア自体の景観を守る意味でも大切だと思って活動しています。」

酒造メーカーや酒蔵という枠にとらわれず、「おいしい酒づくり、たのしい場づくり」へとビジネスをシフトし始めた飯沼本家。その未来像とは、どのようなものなのだろうか。
「おかげさまで順調に売上は伸びていますが、目指しているのは、年間20万人ぐらいのお客さまが来てくれるような酒蔵にすること。来蔵人数ナンバーワンの観光蔵となって、この場所で直売数を増やすことです。また、弊社に来てくれたかたがたが、酒々井の他の場所も回遊していただけるような流れをつくれたらいいですね。そのためには運営面の体制を構築することや、業務提携なども視野に入れて進めていかなければならない。まさに今、弊社は転換期を迎えていると感じています。」
長い歴史を持つ日本酒業界の中で、これまでにない革新的な施策に取り組むのは難しいかもしれない。しかし今、飯沼本家がその重い扉を開こうとしている。奇しくも町の名称に「酒」という言葉が入っているのは偶然か必然か。それはわからないが、酒々井町を代表する酒蔵である飯沼本家が全国区の知名度を持つようになり、「酒々井といえば飯沼本家」と認知される日が来るかもしれない。この酒蔵には、そう感じさせてくれる魅力がある。