ストーリー
2012年に会社を設立以来、横浜市を拠点に国内外へと多彩なビジネスのネットワークを広げ、急成長を続けている株式会社GRACE。創業時わずか2名で立ち上げた会社が、現在では社員150名、パート180名のスタッフを抱えるまでとなり、事業内容も、楽器事業・リユース事業・Webマーケティング事業・システム開発事業・オートモーティブ事業・貿易事業・フードテック事業と多角的な展開を見せている。経営者として辣腕を振るう一方、社員をはじめ関係するすべての人たちに笑顔の輪を広げることが信念と語る代表取締役の沢村 優太氏に、株式会社GRACEの過去と現在、そして未来への展望をうかがった。
起業のきっかけとなった1本のギターとの出会い、それがすべての始まりだった
横浜市で生まれ育った沢村氏の社会人のスタートは、父親が経営する建設会社への入社だった。いずれは家業を継ぎ経営者となる道が用意されていたが、直感的にあらたな道を見出し、ウェブ系の企業に就職する。この決断が今に至るすべてのはじまりだった。
「本当に単純な発想なのですが、当時、IT企業がプロ野球の球団経営に乗り出すなどマスコミを賑わせていたんです。これからの時代はITだと直感的に思ってIT業界に飛び込みました。自分としてはウェブサイトの制作やディレクションの仕事をイメージしていたのですが、入社してみたら営業会社。パソコンを触るどころか、受話器を持たされて営業電話をかけまくるみたいなところからのスタートでした。」
営業職として勤務する一方、プライベートの時間を使ってホームページの制作に必要な技術を学ぶために学校へ通ったり、IT技術を身に付けるためにマンツーマンの指導を受けていたという。もちろん自費によるものだ。そんな日々を過ごしながら独立を決意したのが、24歳のときだった。未経験者でも参入しやすい業種を検討し、選んだのがリサイクル業。まずはノウハウを覚えるためにアルバイトとしてリサイクル業に携わりながら、独立に向けてホームページを制作、自宅にフリーダイヤル回線を引くなどの準備を進め、個人事業主としてリサイクル業をひとりでスタートさせた。昼間は自ら体を使って不用品の片付けを行い、夜は集客のためにホームページのSEO対策にも取り組む日々。不用品の片付けと並行して買取の仕事も行うようになった中で出合った1本のギターが起業のきっかけとなったという。
「グレッチのホワイトファルコン。ブライアン・セッツァーというギタリストが使っていたモデルでした。そのギターを買取業者に持ち込んだところ5万円の値がついたのです。不用品の片付けの仕事では、どんなに頑張っても売上は1日5万円が限度。そこから片付けの仕事をやめて買取に転向したのですが、中でも楽器は高く売れたんです。当時、まだ楽器の買取業者が少なくニッチな業種だったことに加え、僕自身13歳からエレキベースを弾いていたので楽器への思い入れが強かったことから、楽器の買取へと移行しました。」
楽器の買取業務を行いつつ広告の技術を高めていく日々の中で再会したのが、以前勤務していたウェブ会社の同僚であり、現取締役の清島氏。意気投合した二人は、沢村氏が作り上げた集客のための技術とノウハウを提供するウェブマーケティング業務、国産の中古楽器の販売・買取業務という2つの事業を柱に株式会社GRACEを設立。ここから同社の快進撃が始まったのである。
会社の急成長を可能にしたもの、それは信頼という絆で結ばれた「人」の存在
楽器事業の『UNISOUND』は、中古楽器の販売・買取、リペア工房の運営のほか、国内外のECサイトでの販売を行っている。リユース事業は、店舗型リサイクルショップ『錬金堂』を全国展開。グローバル事業はアメリカとタイに現地法人を設立し、中古楽器やリサイクル品をアメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダ、タイ、ミャンマーに輸出している。もともと沢村氏がGRACEを設立する以前に携わった事業を拡大展開したものだが、その中にあって異彩を放つのが「オートモーティブ事業」。『buv japan』として自動車の修理から販売・買取までを全国展開している事業である。だが、闇雲に未経験の業種に挑戦したわけではない。ウェブマーケティング事業の顧客であった自動車修理工場へのコンサルティングを行う中で運営にまで携わったことがきっかけとなり、その成功ノウハウをベースに事業化したもの。現在、自社での運営以外に全国120社の自動車修理工場のコンサルティング業務を手がけているという。
事業は多岐にわたっているが、その実は、お客さま一人ひとりと真剣に向き合い、我々の今ある力でお客さまへ対してどう最善を尽くせるか、どうすれば「笑顔」を生み出せるかを考え、導き出した答えの延長にあるもの。例えば、社員からの発案でスタートしたフードテック事業。その第一弾である黒毛和牛専門の焼肉店『ITADAKI』にしても、別件で精肉卸業者である知人と出会い、その仕事ぶりと人間性に感銘を受け、どうにかビジネスとして形にできないかと考えた末にできあがったものだ。
「3年やってみてわかったのは、飲食業は参入障壁が低く、ライバルが多いということもありとても厳しい業界であるということ(笑)。ただし、お客さまに喜んでいただき、直接『ありがとう』と言っていただけるのは純粋にうれしいですし、他の事業とは違った喜びが得られるビジネスだと感じています。何より、自分が信じた人間たちと仕事ができるので、楽しいです。美味しいもの、幸せな時間を提案して喜んでもらえる。世のため、人のためになる飲食事業は大好きです。」
2012年に起業以来、年平均160%の成長を続け、短期間のうちに会社も事業も拡大させた。沢村氏の鋭いビジネス感覚や分析力、行動力によるところが大きいことは想像に難しくないが、本人はこの急成長を可能にした要因を「人」だと言い切る。
「優秀なスタッフたちがそれぞれに考え、今、やるべきことを理解し、スピーディーに動いてくれる。各人が自発的に動ける体制こそが、ここまで順調に会社を成長させられた要因だと思っています。同時に年齢や経歴、肩書は不問で誰もが自由に意見を言いやすい環境があることは会社の強みかもしれません。私自身、若いスタッフからトレンドや事業のヒントなどを学ぶことも多いですし、年齢や肩書や社歴は不問で誰もが意見を言える環境、意思決定の透明性が高いことは自慢できることのひとつです。そんな優秀なスタッフらは実はその約50%がリファラル採用です。会社のためになる人材を社員が自らの意志で連れて来てくれるので、エンゲージメントの高い社員も多いです。」
横浜を代表する流行・文化の発信地である新山下エリアに、あらたな形態の『UNI COFFEE ROASTERY』をオープン
現在、沢村氏が一番力を入れているのがフードテック事業のひとつであるカフェ『UNI COFFEE ROASTERY』の運営である。コーヒー豆の輸入から焙煎、店舗運営までのすべてを自社で担い、2020年4月に第1号店をオープン以来、横浜市内を中心に次々と店舗を増やしている。もともとは沢村氏がコーヒービジネスに関心を持ち、社員とともに世界のコーヒー事情を調べさせたことがきっかけだった。その中で、ミャンマーのコーヒー農園とつながったのだという。
「ミャンマー政府がゴールデントライアングルと呼ばれるケシ畑地帯をコーヒー農園へと少しずつ転換する政策を進めていることを知ったのです。僕らが仕入れるコーヒー豆の量が多くなれば、その分だけ転換が進む。それがミャンマーの人々への社会貢献はもとより、全世界のGDPの向上に繋がり、世のため、人のためになるのではないかと考えたのです。」
第一義は社会貢献だが、ビジネスとして成立しなければ事業が継続できず、かえって関わる多くの人間を不幸にしてしまう。そのため、事業として始めるからには当然ながらビジネスでの勝算があっての決断だったという。
「既存のカフェは焙煎所から豆を仕入れます。さらに商流の上には問屋や豆を輸入する商社が存在します。ところが僕たちは、グローバル事業などで培ってきた知識やコネクションなどを活用することで豆を輸入する商社業務から関われ、文字通りDtoC(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)を実現できる。そのため飲食店で重要なFLR(フード・レイバー・レント)の比率、原価率が他社と比べて圧倒的に優位性があるわけです。あとは、どういうカフェを作るかということになるわけですが、そこはコーヒー豆本来の個性を重視し、生産地との繋がりを感じながらエシカルなコーヒーを楽しんでもらえるサードウェーブコーヒーで行こうと決めました。」
そして今、GRACEでは横浜市の地域創生、地域活性への寄与も考慮した新店舗の準備を進めている。場所は中区新山下、名称は『REJOURNAL UNI COFFEE ROASTERY 新山下』。まだ、みなとみらい地区の開発が進んでいない時代に、ウオーターフロント地区の象徴として存在したレストラン『タイクーン』跡地に、600坪の倉庫を改装し、従来の『UNI COFFEE ROASTERY』にレストランの機能と音楽を融合させた新しいカフェを創出し、お店を起点に多くの人が集まり、流行・文化の発信地として再興していく予定だ。
「楽器事業部の売上増に伴って、あらたに楽器を収納する広い倉庫を探している中で紹介されたのが『タイクーン』跡地の倉庫でした。しかも、『タイクーン』の横にはミュージシャンのプリンスがプロデュースしたライブディスコ『グラムスラム』もあったと聞き、音楽好きの僕たちからすると『これは運命なのではないか』と。また、本来は飲食業を行うことができないエリアなのですが、この場所は横浜市から特例で認められていると知り、すぐにUNI COFFEE ROASTERYをやろうと決めました。臨港地区の活性化は横浜市の再開発プロジェクトでもありますから、地域貢献にもなる事業だと。その試金石となる事業であり、僕たちにとっても試金石となると考えています。」
現在の計画では600坪のうちの80坪を店舗として使用。レアな楽器を展示するギャラリーを併設し、カフェとしてだけではなく、夜はお酒も楽しめるレストランとしての活用も検討している。さらに、神奈川県下で唯一のクルーザーをつけられるカフェになる予定だ。
ここまでの熱量をもって沢村氏が『REJOURNAL UNI COFFEE ROASTERY 新山下』に入れ込む背景には、かつての横浜らしさ、魅力をこの場所から発信したいという強い思いがあるのだという。
「あくまで僕のイメージですが、引き続き横浜は住み良い街ではありますが、東京のベッドタウンになってしまった。もともとは独自の文化、最先端の情報の発信地であり、他の街にはない独特な魅力があったのに、それが失われつつある気がするんです。今回のご縁、チャンスを活かし、もう一度、新山下というエリアについて再考し、UNI COFFEE ROASTERYがかつての新山下の輝きを取り戻す、再興に繋がればと思っています。やっぱり生まれ育った街に対してリスペクトを持って仕事に当たるというのも責務だと思いますし、横浜にはいつまでも最高の場所であってほしいと思っているのですよね。」
『REJOURNAL UNI COFFEE ROASTERY新山下』のオープンは、2022年3月を予定している。浜っ子の経営者、横浜育ちの株式会社GRACEが、どんな新しいYOKOHAMAを表現してくれるのか、期待は高まるばかりだ。