ストーリー
千葉県南部に位置する君津市にて、ミツバチの飼育、蜂蜜や蜂の巣(コムハニー)の自社生産という養蜂事業に加え、蜂蜜の採取から蜂蜜づくりが行える見学体験養蜂施設『はちみつ工房』の運営、商品販売といった観光事業も展開する株式会社蜂蜜工房。従来の養蜂業に付加価値をつけた独自の事業展開を行う同社が、あらたなチャレンジに取り組む。それは、蜂蜜のお酒「ミード」の醸造販売。日本では珍しい「ミード」づくりを専門に行い、国内のパイオニアを目指す。蜂蜜というニッチな商品に特化しながらも養蜂業の未来を開拓し続ける蜂蜜工房の展望を代表取締役の井嶋 幸裕氏にうかがった。
新規参入者にもチャンスがあると信じ、脱サラして養蜂家に転身
千葉県白井市出身の井嶋氏は千葉工業大学を卒業後、日本電気株式会社に就職。3年間、栃木県宇都宮市で営業職として勤務した後、2012年にたったひとりで株式会社蜂蜜工房を立ち上げて養蜂家に転身した。
「実家が兼業農家をしているので、子どもの頃からお手伝い程度に農業に携わることはありましたが、正直言って農業で食べていくことはできないだろうと考えていました。大学卒業後は就職しましたが、会社員になると、人に指示されて動くのが好きなタイプじゃないんだな、ということに気が付き(笑)、いろいろ思うところがあり起業を決意しました。養蜂業を選んだのは、蜂蜜は賞味期限が非常に長い食品なので扱いやすく、ニッチな産業ですから新規参入でもチャンスがあるのではないか、自分でもお客さんに何か価値を提供できるのではないかという思いからでした。」
会社設立当初は小さなスタートだった。まだ飼っているミツバチの数が少なく商売としては成立しなかったため、国内の養蜂家と提携して蜂蜜の販売から着手。自ら直売所やお土産店を回り、交渉に当たったという。このあたりは営業職の経験が生きたのかもしれない。
「30~40軒ぐらいの店舗に商品を置いてもらえたので、これは結構うまくいくかなと安易に考えていたのですが、全然商品が動かない。ネットショップを始めたものの、そこでも売れない。これは生産を強化しなければいけないと考え、廃業する養蜂場を買い取り、他社の商品と差別化して自社の個性を出そうと蜂の巣ごと販売したところ、面白いと評判になり直売でもネットショップでも売れるようになり事業が軌道に乗っていきました。」
その後、見学体験できる養蜂施設『はちみつ工房』をオープン。テレビ番組などのマスメディアで紹介されたこともあり、はとバスやクラブツーリズムといった団体バスの千葉観光スポットのひとつとなり、多くの来客者が訪れる観光施設へと成長した。
この夏、原料の生産から加工、販売までを一貫して行う「ミーダリー」をオープン
養蜂施設『はちみつ工房』が千葉県の観光スポットとして人気を博す一方、あらたな課題も発生した。施設の駐車場スペースの関係から大型バスの収容台数を増やすことができず、今以上の来訪者を望むことができない。また、商品自体が他社と大きな差別化ができないため直売やネットショップの売上も、いずれ頭打ちになってしまうと考えられた。そこで、あらたな事業展開を検討していく中で出てきたアイデアが、蜂蜜のお酒『ミード』の商品化だったという。ちなみに『ミード』とは、蜂蜜を発酵させて醸造したお酒のことで、日本人には馴染みがないが、海外では1万4,000年前からつくられていると言われている世界最古のお酒なのだとか。
「ミードの存在は10年ぐらい前から知っていました。海外ではヨーロッパを中心にいろいろな種類がつくられているので、いくつか買い集めて飲んでみたのですが、とてもじゃないけれど日本人の舌には合わない味でした。これは商品にならないと思って忘れていたのですが、4年ぐらい前に蜂蜜関連のイベントへ行った際、数あるブースの中で1社だけミードを出しているところがあったのです。『ミードってまずいんだよな』と思いながら試飲したところ、すごくおいしかったんですよ。海外製ミードは蜂蜜に果物やハーブを大量に混ぜた濃い色と味なのですが、そこで飲んだミードは違いました。蜂蜜本来の味わいや香りを楽しめながらスッキリした味だったのです。本当はおいしくつくることができるんだという気付きを得られたことは大きなきっかけとなりました。」
蜂蜜の生産から加工、販売まで一貫して自社で行えるのが、蜂蜜工房の強みではある。しかし、『ミード』を商品化するアイデアは出たものの、井嶋氏はもちろん蜂蜜工房には醸造に関するノウハウも機材もない。そこで、どういった機材が必要になるかを知るために機材メーカーを訪ねたところ、そのメーカーの機材を使ってミードをつくっている福島県の造り酒屋を紹介されたという。
「機材の調達、ミードづくりの技術的な部分、つくり手を探すという3つを並行して進めていきました。つくり手の部分は、もともとワイナリーで働いていた人材を採用することができましたので、彼に福島の造り酒屋さんで技術指導を受けてもらいテスト醸造を行いました。3年ぐらい前から動き出した新規事業への取り組みが、やっと形になったのです。」
2021年9月、蜂蜜工房の新拠点として、原材料となる蜂蜜の生産から、ミードへの加工、試飲や販売などを行う観光施設『ミーダリー』をオープン。しかし、この施設は同社の将来を見据えた事業展開の1ステップにすぎない。井嶋氏が描くビジョンは、さらに先にある。
「恋人に思いを伝えるお酒」をコンセプトにライフイベント用の商品を目指す
『ミーダリー』を成功に導くには、日本人に馴染みのない『ミード』というお酒を消費者にどう伝えていくかがポイントになる。井嶋氏は「恋人に思いを伝えるお酒」をコンセプトにブランディング化を考えているという。
「まだ具体的な戦略にまで落とし込めてはいませんが、恋人と大切な時間を過ごすときであるとか、シャンパンのようにライフイベントのタイミングで飲むお酒といったコンセプトでうまくブランディングできたらいいなと思っています。もともと、ミードはハネムーンの語源となっている言葉なので、恋人同士のお酒になりうるストーリーを持ったお酒だと思うんです。単にお酒をつくって販売するだけではなく、お客さまのライフイベントの思い出と共に記憶に残るお酒というところまで丁寧に考えてつくり上げていきたいと思っています。」
現状、『ミード』の価格は375mlで2,000円前後を考えているとか。アルコール度数は10パーセント程度のためワインのようにストレートで飲むのが基本になる。まずは、このベーシックな味わいの『ミード』を提供していくが、お客さまの意見を参考に味わいの異なるブランドをつくることや、海外への輸出も検討しているという。さらに井嶋氏が、その先に見据えているのはミード事業を通じての社会貢献である。
「これは養蜂業に限らず農業全体の話でもありますが、業界として明るさがないですよね。理由はいろいろありますけれど、一番の要因は収入だと思うんです。でも、楽しくて儲かるビジネスモデルがあれば、僕のような新規参入組も増えるのではないかと思うんです。そんな期待もありますし、地元に仕事があれば無理して都会に出る必要もなくなりますよね。僕自身、都会が苦手なこともありますが、地元でやりがいのある仕事ができて、私生活も充実したなら最高だと思うんです。もちろんミード事業で、そういう未来を実現するという壮大なことを考えているわけではなく、ひとつのきっかけになれたら面白いなという僕個人の思いです。」
2012年8月に会社を創業し、わずか10年足らずで現在の規模にまで事業を発展させた井嶋氏。他の人と同じことをするのではなく、自ら道を切り開いてきた行動力と創造性が結実した結果なのだと思う。井嶋氏は、まだ34歳。この若きパイオニア、そしてミード事業の未来が楽しみである。