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プロを訪ねて三千里【第16回】翁百合氏
世の中をどう変える?「ブロックチェーン」の今とこれから
金融ビジネスを一変させる可能性があるなどとされる「ブロックチェーン」。関連ニュースがメディアを賑わせていますが、この言葉を正確に理解している人はそう多くないかもしれません。
日本銀行出身の気鋭のエコノミストで昨年、『ブロックチェーンの未来』(日本経済新聞出版社刊、共著)を上梓した日本総合研究所の翁百合副理事長にブロックチェーンの利用でビジネスや普段の生活がどう変わるのか聞きました。
- 翁 百合(おきな・ゆり)氏 プロフィール
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株式会社 日本総合研究所 副理事長
京都大博士(経済学)慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了後、日本銀行入行。産業再生機構取締役産業再生委員等を経て、2014年より慶應義塾大学特別招聘教授、同年6月より日本総合研究所副理事長に就任、現在に至る。総合研究開発機構理事、金融審議会委員等を兼任。
事実上改ざんできないのが最大の強み
- 尾河「ブロックチェーン」と聞いただけで拒絶反応を示す人も少なくありませんが、簡単に言うとどのようなものですか。ブロックチェーンによっていったい、何が変わるのでしょうか。
- 翁
ブロックチェーンは「分散型台帳」とも言われています。「台帳」と聞けば「紙で中央に置かれている」といった印象があると思いますが、ブロックチェーンはそれがデジタル化されたものです。
デジタル化された台帳が一カ所だけで管理されていると、ハッカーの侵入や大規模な地震などが起きた際にダメージが大きい。このため、従来はビジネスコンティンジェンシープランに基づき、高いコストをかけて別の地域にもバックアップが置かれているといった形態が一般的でした。たとえば、証券取引所のシステムなどもそうでしょう。
これに対して、ブロックチェーンは取引履歴(データ)などが記載された同じ内容の台帳を皆が持ち合うもの。取引履歴をまとめたものが「ブロック」であり、ブロックをつないで保存された状態が「ブロックチェーン」です。
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ブロックチェーンの利点は改ざんが困難なこと。データが暗号化されているうえ、分散した状態で保存されています。それぞれのブロックには前のブロックの取り引きの要約が入り、それがつながっている。そのようにして各ブロックがつながりながら、取引履歴のチェーンが形成されています。どこかのデータを改ざんしようとしても整合性が取れなくなってしまいます。また、データが分散共有されているため、安価に障害に強いしくみを作れる利点もあるのです。
ブロックチェーンはビットコインなど仮想通貨の取り引きの裏付けとなっている技術でもあります。整合性の確認では多額の電気代を費やして膨大な計算を行います。「マイニング(採掘)」と呼ばれる作業です。それに成功すれば、報酬としてビットコインをもらえるというインセンティブがあります。その整合性について皆が合意しながら進める。「分散」や「共有」が重要なコンセプトです。
ビットコインが始まったのは2008年。「サトシ・ナカモト」が論文を発表したのがきっかけです。「P2P(ピアーツーピア」と呼ばれる草の根的な、誰もが参加できる「パブリック型」のブロックチェーンでした。現在はブロックチェーンの技術が仮想通貨以外のさまざまな領域で使われるようになりつつあります。
- 尾河皆が台帳を見ながら管理しているので、何か不正があれば誰かが気づいてしまう。だから、改ざんができないということですね。
- 翁そうですね。そこで、透明性が担保されているわけです。
- 尾河ただ、新しいことをやろうとすれば、共有する人すべてが合意しなければなりません。
- 翁
「パブリック型」だと皆がわいわい議論しながら新しいことへの対応を決めるから、賛成する人もいれば、反対する人もいる。ビットコインの「分裂」が起きるのも、そのためです。中央集権的な管理者が新しいことを採り入れるかどうか決めるという意思決定の仕方ではありません。
一方、そのような管理者がいるのは「コンソーシアム型」または「プライベート型」と呼ばれるブロックチェーンの形態です。ブロックチェーンへの参加には管理者の許可が必要。たとえば三菱UFJフィナンシャル・グループが試験導入したデジタル通貨「MUFGコイン」のシステムはプライベート型です。
- 尾河「MUFGコイン」では同グループが管理者であり、いわば中央銀行的な存在なのですね。
- 翁はい。ビットコインのような仮想通貨とは異なるデジタル通貨です。
- 尾河つまり、何か問題が生じたときに安心できそうなのは管理者がいるタイプの「プライベート型」ですが、幅広い層の参加者が取り引きできるのは「パブリック型」ということですね。
- 翁金融機関が取り組むブロックチェーンの実証実験の多くは「コンソーシアム型」または「プライベート型」ですが、「それって本当にブロックチェーンなの」といった指摘があるのも事実です。というのも、もともとのコンセプトは草の根的なものだったからです。
ダイヤモンド取引の透明性確保に活用
- 尾河「ブロックチェーン」というとやはり、「ビットコイン」のイメージが強いと思いますが、他にはどのような領域で使われているのでしょうか。
- 翁
一例が国際送金などでの活用です。従来の送金だと、金融機関等が仲介するため手数料が高くなってしまう。ブロックチェーンの技術を使えば、利用者どうしが直接送金を行うため仲介者が存在せずコストが下がります。
産業の分野ではブロックチェーンの技術がサプライチェーンの効率化に資するのではないか、との期待が膨らんでいます。医療の世界でも患者などの情報を分散して共有し、必要なときにそれを利活用するといった形の活用、検討が進められています。
- 尾河貿易取引で国際送金というと通常、銀行が間に入るためコストが高くなってしまう。しかし、多くの企業がブロックチェーンに参加していれば、情報が正しいのかどうか確認できるため銀行を介さずに取り引きが可能になる、と。
- 翁ブロックチェーンを用いた貿易取引の実証実験などを行っているのは、銀行や商社などです。信用状(LC)などのやり取りに際して従来、多くの関係者が紙の書類で行っていた作業を自動化する「スマートコントラクト」というしくみの導入などがカギとなっています。
- 尾河「スマートコントラクト」だとブロックチェーンの技術を利用しているため、信用状が不正なものでないことを認識することができる。活用する銀行は取り引きの効率化ができるうえ、人手を介す必要もなくなるのでコストも下がる・・・。
- 翁
おっしゃる通り、ブロックチェーン技術を使うと、貿易取引事務が効率的にできることが注目されています。
わかりやすい例として、ダイヤモンド取引の例もお話ししましょう。
英国に「エバーレッジャー」という同取り引きを手掛けるベンチャー企業があります。同社は取り引きの透明性を確保するしくみとしてブロックチェーンの技術を活用したビジネスモデルの構築に成功しました。
- 具体的には個々のダイヤモンドに固有のIDを付けて、鑑定書などもデジタル化を進めました。そして取り引きなどすべての情報をブロックチェーンにのせました。鑑定書が紙だと紛失のおそれがありますが、その心配も不要です。ダイヤモンドの取引履歴をブロックチェーンで管理すれば、マネーロンダリングや保険金詐欺などに悪用されるおそれも小さくなる。取引履歴などの情報は保険会社や警察などに提供しています。
- 尾河IDが付いていればダイヤモンドを誰が保有しており、どこへ持っていこうとしているかもわかります。不正な取り引きに使われても、すぐに発覚してしまう。
- 翁そうです。ダイヤモンド以外の宝石や絵画など、ほかの動産の価値を維持することにもブロックチェーンの技術は活用することができます。エバーレッジャー社はそうしたビジネスモデルを築き上げました。
- 尾河その一方で、リスクはないのでしょうか。
- 翁リスクがなくなったわけではありません。仮想通貨の場合、日本ではマウントゴックス事件などを踏まえ、交換業者を登録制にしました。顧客資産の分別管理の徹底なども求めています。それでも、ハッキングなどが起きる可能性は残っています。事故がないとは言い切れません。
- 尾河管理者のいない「パブリック型」のブロックチェーン技術を基盤としたビットコインの取り引きが浸透すると、中央銀行などは本当にいらなくなってしまうのでしょうか。
- 翁
ビットコインが注目を集めているのは事実ですが、法定通貨に比べれば取引量はさほど大きくありません。しかも、投機的な売買がほとんどです。全体の9割が投機といわれています。決済手段として使われている割合は、それほど多くありません。法定通貨とは状況がかなり異なります。その意味では法定通貨との関係では今のところ、さほど心配する必要はなさそうです。
ただ、欧米ではICO(新規仮想通貨公開)など資金調達時の詐欺的な動きが問題視されており、投資家保護が課題になっています。各国の中央銀行のビットコインなどに対する関心が高いのも事実。特に価格のボラティリティ(変動率)の高さには懐疑的です。
また、ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁は、ユーロ加盟国であるエストニアが同国のデジタル通貨の「エストコイン」発行を検討しているという報道に対して不快感を示しました。同総裁いわく、「エストニアはユーロ圏ではないか」と。「ユーロ加盟国の通貨はユーロ」というわけです。
- 尾河ドラギさんの気持ちもわかります(笑)。ユーロの価値を維持するのがECBの使命なのに、ユーロ圏の国々が勝手に自国のデジタル通貨を発行してしまったら困るのも当然です。
- 翁日本については、金融当局がICOによる資金調達への注意喚起をする一方、調達を行う側をウォッチしていく姿勢も見せています。欧米各国に比べるとスタンスはそれほど厳しくないといえそうで、今のところ中国のようにICOを禁止する方向でもありません。
- 尾河「様子見」という感じでしょうか。ICOには瞬時に資金調達できるなどの利便性があります。簡単な手続きで調達が可能。だから、まじめにやっている企業からすれば、こんなに便利なしくみはないでしょう。一方で、会社側が資金調達したとたん、どこかへ消えてしまうといった詐欺的な行為が横行する可能性もある。「ひとまず様子見だが、ひどいようだったら」などと考えているのかもしれませんね。
- 翁中国の研究者によれば、ICOを禁止したのは、同国が国際的な資本取引を抑制しているうえ、実際に投資家に被害が発生したためということです。日本では欧米に比べると、ICOの実績がそもそも乏しいですが、法整備は必要です。ICO時に発行する仮想通貨の「トークン」がエクイティなのか、デットなのかといったこともはっきりしていません。そうした点も今後、議論の対象になるでしょう。
役所へは人生で最大3回行けば済むエストニア
- 尾河電子化が進んでいる国としては、先ほど名前の挙がったエストニアなどが知られています。
- 翁エストニアでは「人生で最大3回しか役所に行かなくて済む」といわれています。結婚、離婚、不動産取引。それ以外はすべてパソコンやスマートフォンで対応が可能です。納税はほとんどが「e-tax」で役所へ足を運ぶわけではありません。選挙も電子化されています。
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電子化が進んだのは、国民一人ひとりに生まれたときからIDが付与されているためです。生年月日の入ったわかりやすいID番号です。
電子化は00年代初頭から始まりました。IDカードとセキュリティ番号を入力するだけで、さまざまなデータの閲覧が可能。医療情報もすべてデジタル化されており、自分のデータを見ることができます。歯の治療履歴まで確認できます。本人の同意が前提ですが、医師もそうした情報を活用できます。
- 尾河でも、ブロックチェーンで保存しているということは、すべての個人情報に接することが可能になってしまうのではないですか。
- 翁エストニアのシステムはすべての人が同じ台帳を共有するタイプのものではありません。コンセプトがちょっと違います。各官庁や自治体のデータベースがネットでつながれており、アクセスしたログが残されています。アクセス時の改ざん検知にブロックチェーンの技術が活用されています。この技術が始動したのは07年。ユーロの他の加盟国も同国の技術には高い関心を寄せています。
- 尾河エストニア以外の国々にも電子化の動きは広がっているのでしょうか。
- 翁
電子化の先進国は「デジタルファイブ」と称される5カ国。エストニア、イスラエル、韓国、ニュージーランド、英国です。
英国は16年に公文書の管理でブロックチェーンの技術を活用する実験をスタートさせました。ほかの国でもたとえば、スウェーデンは不動産登記を電子化しようとしています。南米のウルグアイなども中央銀行がデジタル通貨を発行したことが報道されています。
- 尾河多くの国で取り組みが積極化しているのですね。日本はどうなのでしょうか。
- 翁
政府レベルではちょっと遅れていると言っていいでしょう。17年の「未来投資戦略」には政府調達の分野にブロックチェーンの実証実験を行うことが盛り込まれましたが・・・。
ただ、事業者レベルではかなり先行している事業者もいると思います。
- 尾河「デジタルファイブ」に米国や中国が名を連ねていないのは意外な感もありますが。
- 翁
フィンテックでは米中とも先進国です。中国では「アリペイ」や「WeChatPay」などが爆発的な広がりをみせていますね。同国は16年にブロックチェーン利用を進める方針を打ち出しており、国レベルでも熱心です。
米国のフィンテックはむしろ、民間レベルで先行しています。グーグル、アマゾンなどや非常に多くのベンチャー企業が積極的。政府レベルでの「デジタルファイブ」に両国は含まれていませんが、「遅れている」とは決して言えないでしょう。もっとも、米国のシリコンバレーには「ブロックチェーンは本来、何に向いているのだろうか」といった見方もあり、「熱狂的」という状況には至っていません。
大事なのはあきらめずに意志を持ち続けること
- 尾河ブロックチェーンの技術導入で金融機関を介さない送金などが一般化すると、手数料で稼いでいる銀行のビジネスには大打撃になるおそれもあります。
- 翁銀行にとってもブロックチェーン技術の活用には取り引きの効率化や生産性向上につながるといったプラスの側面があります。一方で、利用を機に「産業と金融の融合」が進み、さまざまな事業者が新しいビジネスモデルで参入できるようになるのは、銀行にとっては競争激化でマイナスといえるでしょう。
- 尾河
IT化によって便利になるのはとても結構なことですが、国際送金時のLCに関わる第三者の作業が自動化されると、それによって仕事を失う人が出てきます。
たとえばネットの無料検索が可能になることで、辞書を買う必要もなくなれば消費にはマイナス。「変革期」には耐え忍ばなければならない面もあるということなのでしょうか。
- 翁
懸念されるのはデジタルデバイドでしょう。ITを利用できる人とそうでない人の間に格差の生じる可能性があります。エストニアは公民館で電子化対応の講習会を開催することで全体のレベルを上げました。IDカードを使っている人は現在、国民全体の96%を超えています。130万人という人口の少なさを考慮する必要はありますが、それでも地道な努力は大事です。
中東諸国から欧州各国へ流入する難民の多くがスマートフォンを持っているといわれていますね。ITを活用することで、そうした難民も含めたさまざまな人が、従来は受けられなかった金融サービスのメリットを享受できるといったメリットもあります。
「ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂:あらゆる人々が経済的に安定した生活を送ることができるよう、金融の知識提供や金融サービスへのアクセス支援などを行うこと)」の広がりにもつながるはずです。むろん、技術革新が起きるとなくなってしまう仕事があるのは確かです。だとしたら、新たな仕事を作り出すのも大事なことです。
- 尾河政府の委員を務めながら日本総研でも要職に就かれています。一方で、子育てもしていて、「働く女性の鑑」ともいえる存在です。私はずーっと独身で、うらやましいかぎりですが(笑)、最後にワークライフバランスなどに悩む女性へのアドバイスをお願いできますか。
- 翁
あきらめないことが大事かなと思います。人生は「山あり谷あり」の連続で苦労も少なくないと思いますが、たとえ「細く、長く」であっても仕事を続ける意志を持ち続けることです。
仕事を通じて築いたネットワークも大切にしたいですね。いろいろな縁で助け合ったり、さまざまな仕事にめぐり合うこともあるかもしれません。
あとは時間をできるだけうまく使うこと。家事や育児と、職場での仕事は気持ちを切り換えてメリハリをつけるようにすると、かえって集中できることもあるように思います。
- 尾河最近はIT化のおかげで在宅勤務も進んでいますね。
- 翁これからは女性にとってワークライフバランスをやりやすい時代になるでしょう。今ではそろって転勤する夫婦も増えました。ぜひ意志を持ち続けてほしいですね。