プロを訪ねて三千里【第7回】伊藤さゆり氏
警戒怠れないフランス大統領選挙
欧州政治リスクの読み方

欧州が「政治の季節」に入ってきました。3月のオランダに続き、4-5月のフランス、その後のドイツと、欧州の主要国で国政選挙が相次いで実施される予定となっていて、反欧州連合(EU)を掲げる勢力が勢いを増せば、単一経済圏が揺らぎかねないと警戒されています。英国のEU離脱派勝利や米国のトランプ大統領誕生といった大番狂わせは再現するのでしょうか。

欧州経済のスペシャリストでいらっしゃるニッセイ基礎研究所・上席研究員の伊藤さゆりさんに、現状の分析と今後の見通しをうかがいました。

伊藤さゆり (いとう・さゆり)氏 プロフィール

ニッセイ基礎研究所 上席研究員

早稲田大学政治経済学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経て、ニッセイ基礎研究所に入社。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。2012年7月から現職。早稲田大学大学院商学研究科非常勤講師兼務。主な著書に「EU分裂と世界経済危機 イギリス離脱は何をもたらすか(NHK出版新書)」など。

対談日:2017年3月22日

無難通過のオランダにもくすぶるリスクの芽

  • 尾河3月15日は注目された米連邦公開市場委員会(FOMC)の裏側で、オランダ下院選挙がありました。反イスラムや欧州連合(EU)懐疑主義を掲げるウィルダース党首が率いる自由党(PVV)が第一党の座をうかがうとして警戒されましたが結局、与党が競り勝つ無難な結果となりました。
  • 伊藤そのように言われていますが、EUを支持してきた主流派の政治勢力が低下する傾向が強まったともいえます。ルッテさんが率いる与党・自由民主国民党(VVD)は第一党を確保したものの議席を減らしましたし、連立パートナーの労働党(PvdA)は、かなり大幅に議席を減らしました。

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  • 尾河労働党の減らした議席を奪い合う展開ということですね。
  • 伊藤

    英国民投票や米大統領選挙の流れを踏まえて一番警戒されたのが、EU懐疑主義と反イスラムを主張するウィルダースさんの自由党の動向だったわけです。

    もっとも、オランダ国債の利回りは選挙前から、EU圏内で一番安全と見られているドイツ国債との利回り格差に明確な広がりがありませんでした。ウィルダースさんが首相になってEU離脱に向かうというシナリオは、織り込まれていなかったといえるでしょう。

    ただ、市場はフランス大統領選への警戒を解いてはいません。フランス国債とイタリア国債の利回りは、ドイツ国債の利回りと比べて格差が開いてきているところに、市場の心理が現れているといえるでしょう。

  • 尾河確かに、自由党は第1党にはなれませんでしたが、第2党に躍進しました。
  • 伊藤党の主張がある程度、共感を得たのは確かでしょう。今後の議会運営にも、影響力を発揮するのではないでしょうか。
  • 尾河今後は連立政権を模索する方向です。
  • 伊藤今までは中道左派と右派の2党連立だったのですが、3-4党の連立になりそうです。政策的には、いろいろ妥協が必要になります。もっとも、ウィルダースさんの自由党は連立政権に入らないでしょうから、少なくとも国民投票でEU離脱の是非を問うなどといった波乱はなさそうです。

フランス大統領選はオランダの延長線上にない

  • 尾河欧州のポピュリストたちは、トランプ現象を利用しようとしていましたね。フランスの極右政党「国民戦線(FN)」を率いるルペンさんは、思いっきりそうでした。その主張は「フランス第一」ですから、国民受けも良さそうです。
  • 伊藤そうですね。特にグローバル化やEUによって暮らしが圧迫されていると感じる人たちは、自分たちを優先してくれる大統領を支持しようとの判断に傾くかもしれません。

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  • 尾河オランダ選挙で嫌な流れをいったん阻止できたものの、決して反EUなどの流れがなくなったわけではない、ということですか。英国民投票、米大統領選で世論調査がことごとく覆された経緯もあります(笑)。楽観できなさそうですね。
  • 伊藤

    もしかしたらオランダとは違って、フランスではポピュリズムが通用するかもしれません。

    オランダ経済は全般的に堅調だし、失業率や所得格差から見て、いわゆる「取り残された人々」の割合が比較的少ない、安定した社会といえます。

    一方、フランスでは地域間の格差が目立つし、失業率も高い。とりわけ若年層の失業率が高いのも特徴です。一昨年から去年にかけて大きなテロが3回ありましたが、有効な対策が打たれなかったという不満もあります。
    オランダと異なる固有の社会背景があるため、大統領選の行方には慎重にならざるを得ないでしょう。
    オランダの場合、反主流派の受け皿となった中道派の政党があったため、票が分散し、自由党の躍進が抑えられた面があります。しかし、フランス大統領選では、最終的には1対1の勝負となります。例えばマクロンさんが嫌だからという理由で消去法的にルペンさんを選ばざるを得ないという、投票行動もありえるのです。

  • 尾河市場では、勝つのはマクロンさんか、場合によっては中道右派のフィヨンさんだろう、という意見が多いですね。
  • 伊藤

    EUやグローバル化の恩恵を受けている大都市のビジネスマンや政策当局の人たち、金融関係者の見方だけでは見誤ります。英国は地域差が大きかったため、大都市が残留を支持しても、地方が離脱を支持したことで離脱派が勝利しました。

    フランスも地域間の格差が大きい点は類似しています。工業地帯として栄えた北東部や南部など全国平均よりも失業率が高い地域でルペンさんの国民戦線の支持が高い傾向が見られます。

  • 尾河フランスは本来、2大政党制といえますね。ところが今回は、世論調査によると2大政党の候補はどちらも残らない結果になっています。大統領の候補足るべき人材の不足という見方もあります。
  • 伊藤

    フランスはエリート主義の国なので、大統領として申し分のない経歴を兼ね備えた人が大統領になってきました。今回は社会党の現政権が不人気なうえに、右派の統一候補にスキャンダルが浮上したため、エリート主義のフランスらしからぬ展開になってきているのです。

    候補者選びの経緯からして異例づくしのため、何があってもおかしくないというのが、フランスの政治専門家の意見でもあるのです。

仏選挙はどう転んでも不安くすぶる

  • 尾河フランス大統領選で、市場がもっとも好感しそうな候補は誰でしょうか。
  • 伊藤

    EUなりユーロなりの枠組みの中で、卒なく振舞ってくれそうな候補が金融市場にとっては好ましいでしょう。親EUの姿勢を明確に打ち出しているのはマクロンさんですね。EUの財政規律は尊重する立場ですが、経済・産業・デジタル大臣を勤めていた経験もあり、デジタル化の推進という成長志向も持ち合わせています。

    弱みは、浮動票に支えられている部分が大きいこと。大統領選挙からおよそ1ヶ月後に行われる議会選挙で多数を占めると思われる2大政党との連携を図れるかが鍵となります。マクロン氏は2016年春に「前進!」を立ち上げ、秋に大統領選への出馬を表明しました。バルス前首相やドルリアン国防相など有力な政治家からも一定の支持を得ていますが、政治家としての経験も豊富とは言えませんから、果たして大統領になった後、議会とうまく折り合って行けるか不安は残ります。

  • 尾河ルペンさんが勝った場合、彼女が主張しているユーロ離脱は実現可能なのでしょうか。

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  • 伊藤

    ルペンさんが掲げた144項目の公約のトップは、フランスのEU加盟条件をあらためて交渉し、メンバーとしてとどまるか国民投票を実施するという、キャメロン英前首相と同じ主張です。

    フランス国内でも、EUからいろいろ縛られることに不満はあるけれど、農業の補助金など恩恵も受けているので、EUを離脱したいという思いが強い訳ではない。ただ、EUに対する意思を表明する機会を得られることや、フランスがより有利な条件でEUにいられるのならば、その方がいいという思いはある。広く支持を得るために国民投票の実施を公約のトップに据えたのだと思います。

    ユーロ離脱も公約の1つですが、35番目の公約で優先度は低いように感じます。フランスの場合、EU残留か離脱かを問う国民投票を実施するためには憲法改正が必要になり、議会の承認を経なければなりません。大統領選挙からおよそ1ヶ月後に行われる議会選挙では国民戦線が単独過半数を獲得するようなことは考えられず、公約の実行は簡単ではないと思います。

  • 尾河フランスは、ドイツとともにEUのコア・メンバー国です。EU離脱を強行すれば、制度の運営事態が困難になりそうです。
  • 伊藤

    フランス議会や法律による一定の歯止めはあるわけですが、ルペンさんが選ばれたときの市場へのショックは大きいでしょうね。実際にできるかどうかではなく、最悪の事態を想起させる人物が選ばれること自体、欧州の脅威と映るかもしれません。

    滑り出しからフランスの銀行株が大暴落するとか、フランス国債のリスクプレミアムが急騰するという事態にでもなれば、どう収拾をつけるのかという難題をいきなり突きつけられてしまいます。そうなったとき、国民投票やユーロ離脱という政策を遂行できるかはわかりません。

メルケル敗退でもドイツは迷走せず

  • 尾河ドイツも下院選挙を控えていますね。
  • 伊藤

    ドイツでも、特に2015年夏の難民危機の後、右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持率が上昇しています。

    ドイツでは、比例代表部分で決まる連邦議会の議席が多く、比例票で5%を獲得できないと議席を得ることすらできない仕組みになっています。小党分立がナチスを生んだという反省から設けられた仕組みです。

    前回総選挙でAfDは議席を得られませんでしたが、今回は獲得できそうな情勢です。もっとも、オランダやフランスに比べれば、まだ議席を得るかどうかというレベルの争いですから、ドイツで反EU勢力が優位に立つリスクは限定的です。

  • 尾河メルケルさんの4選が果たせず、EUが混乱しかねないとの見方もあります。

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  • 伊藤

    確かに、キリスト教民主同盟(CDU)が負けてメルケルさんは4選にならないかもしれません。それでも、第1党が中道右派か左派かという、従来型の入れ替わりでしょう。

    ドイツ政治では、メルケルさんのCDUの連立パートナーでもあるドイツ社会民主党(SPD)の支持率が年初辺りから急上昇し、ときどきCDUを追い抜く場面があります。

    SPDは、世界的に凋落していた中道左派です。ドイツでもついこの間まで連立政権の中で人気が埋没していました。かつてSPDのシュレーダーさんが進めた労働市場改革は、左派の支持者に痛みを強いました。今のドイツ経済の強さのベースになっていると国外では高く評価されていますが、国内では格差を生んだという批判があります。

    ところが、欧州議会議長だったシュルツさんが党首になったとたん、SPDの支持率が伸びたのです。SPDの政治家は連立政権の中にいるため発言が制約されがちですが、外から戻ってきたシュルツさんは比較的自由です。シュレーダーさんの改革を部分修正するよう主張していることも支持を集めていて、ドイツではもう一度、中道左派に回帰する流れになっているのです。

    新鮮さを求めている点は、どの国でも共通しています。ドイツにとって幸運といえるのは、その担い手が主流派の政党の中にいたことかもしれませんね。メルケルさんが4選しなければ意外感が生じるかもしれませんが、ドイツの迷走はないでしょう。

ECBの出口戦略、本格化は18年以降

  • 尾河

    金融政策の話をうかがいます。

    米国が利上げサイクルに入り、グローバルにインフレ基調が出てくる中で、欧州中央銀行(ECB)による金融緩和の「出口戦略」がささやかれていますが、欧州は出口に向かっても大丈夫なのでしょうか。

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  • 伊藤

    ECBの金融緩和は、欧州で日本型デフレのリスクが高まったため、2014年6月から始められ、徐々に強化されてきました。去年は中国経済の先行き不安が高まって市場が動揺したことを踏まえて、緩和を強めた側面もあります。足元で不安は和らいでいますので、この部分の修正は不自然ではありません。

    ただ、出口に向けてピッチを上げていけるというわけではありません。もともと緩和には反対の立場だったドイツ経済は堅調ですが、例えば南欧は過剰債務の上、労働市場も余剰を抱えています。加盟国間で、経済状況にバラつきがあるのです。

    ECBのスタッフと話していても、こうした状況に慎重に対応しないといけないとのスタンスが見受けられます。去年の英国民投票と米大統領選挙という2大ショックが、比較的早く収束したひとつの要因として、ECBは金融政策への信任があったためだと自負しているぐらいですから、政治イベントが続く中では簡単には出口に向かえないと思います。
    緩和政策の部分的な修正はあるとしても、本格的な出口戦略は早くても2018年に入ってからではないでしょうか。

フルマラソンのラスト15キロを楽しむ

  • 尾河(シリーズ連載で初めて女性にご登場いただきましたので、せっかくですから女子会っぽく、ワークライフバランスについてもうかがわせてください。)
    日本では、欧州経済の研究者は、政治や法律に比べて少ない印象があります。
  • 伊藤

    日本企業にとって市場としての欧州の魅力が乏しいことが背景にあると思います。私の場合も、偶然のめぐり合わせでした。もともとアジア経済を研究していたのですが、日本とアジアの関係を考える上で欧州統合の動きは参考になると思って勉強したのがきっかけです。

    その後に欧州が次々と危機に見舞われたことで、深くはまりこんで、抜けられなくなってしまいました(笑)。

  • 尾河フルマラソンをなさるそうですね。金曜日にテレビ出演された後、週末のレースに出るなんて、私なら途中でリタイアしちゃうところです(笑)。
  • 伊藤いきなり42.195キロを走ろうとすると大変そうに見えますが、少しずつ距離を伸ばしていけば案外、走れちゃうかもしれませんよ。私は、ラスト15キロぐらいは頑張りますが、あとは流す感じです。ラスト15キロが面白くてマラソンをやってるようなものです。

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  • 尾河ラスト15キロですか。
  • 伊藤日常生活では、仕事のことや家庭のことなど、いろいろ考えないといけませんが、マラソンのラスト15キロでは、ペースを維持すること以外に考えている余裕などありません。ある意味で無心になれる、瞑想のような時間として楽しんでいます。
  • 尾河お仕事をご一緒させていただくときには、いつも全力投球でいらっしゃる印象があります。
  • 伊藤原稿執筆や番組出演、講演など、どの仕事も一生懸命に向き合おうと思ってます。それぞれ支えてくださる方々がいらっしゃいますので、最善を尽くすことで応えていきたいと思っています。
  • 尾河なるほど。オンもオフも、常に前進していらっしゃるんですね(笑)。マラソンの練習は毎週されるんですか。
  • 伊藤英国民投票の後は仕事が忙しくなりまして、ちょっとおろそかになっています(笑)。
  • 尾河人生の局面によって、ワークとライフのバランスも変化させるわけですね。20-30代の働く女子にも参考になりそうです。
  • 伊藤一生懸命になれるほど関心をもてるような仕事が、20-30代で見つかるといいですね。それはきっと、一生の仕事になると思いますから。

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