プロを訪ねて三千里【第5回】伊藤隆敏氏(後編)
個人投資家は長期・分散投資で自衛が重要
将来世代に配慮した年金改革を

長期的に見ると日本は人口減少に歯止めがかからないという大きな問題が控えています。税収に見合わない高い生活水準が維持される一方で財政は悪化、日本経済が先細っていく印象はぬぐえません。

前編に引き続き、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用改革取りまとめにあたられた伊藤隆敏コロンビア大学教授・政策研究大学院大学特別教授に、財政・年金の展望と、個人投資家の備え方をうかがいました。

前編はこちらです

対談日:2016年12月14日

「財政危機」に複数のシナリオ

  • 尾河

    日本はいずれ財政破綻すると、根拠薄弱なまま煽る書物が多いように見受けます。

    ちょうどギリシャ・ショックがあっただけに、預金封鎖になって国際通貨基金(IMF)がやってきて、構造改革を強制されるんじゃないか、と心配する個人投資家の方も少なくない印象があります。

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  • 伊藤

    額面100円の国債が満期償還で50円しか返ってこないというような国債の不履行はないと思っています。

    国内の人が国債の90%を持っているため、不履行の場合は国内の誰かがツケを払うことになります。銀行がたくさん持っているからといって、銀行が負担を負うことになれば、財政は助かっても銀行危機になりかねません。それを救済するのは政府ですから、結局、政府にツケが回ってくる。不履行しても何もいいことはないのです。

    ギリシャの場合は、ツケが回るのはドイツやフランスの投資家だから、ギリシャとしては痛みが少ない。日本は事情が異なります。不履行しても何もいいことはないと政府もわかっているから、不履行はしないはずです。

  • 尾河伊藤さんは著書「日本財政『最後の選択』」で、問題点を客観的に論じていらっしゃいます。その伊藤さんも、低・中成長が続くと2020年代の中盤から後半には財政危機が起きかねない、と指摘されています。
  • 伊藤

    国債の不履行以外の危機の形態もあると考えています。例えば、これまで高い比率だといわれてきた家計貯蓄は、徐々に減っています。企業貯蓄もいつまでも高止まりする理由はありません。一方、国債の新規発行がどんどん増えている。この流れが止まらないとすれば、ある時点で国内貯蓄だけではまかなえなくなる局面がきます。

    外国人に買ってもらうことになりますが、高いクーポンレートを要求されるでしょう。政府のキャッシュフローは苦しくなります。

  • 尾河日本人が国債の9割を保有しているから大丈夫という「楽観論」の前提が崩れつつあるということですね。
  • 伊藤

    外国人に買ってもらわなくてもいいようにするには、消費税の税率引き上げを急速にしなければ間に合わなくなります。IMFが乗り込んでくるかどうかは別にしても、急速な税収引き上げによって、少なくとも国債の新規発行をしないようにするのです。財政が単年度で黒字になれば、国債の投げ売りは止まります。ただ、急速な財政引き締めで乗り切ろうとするわけですから、不況にはなるでしょう。

    別のシナリオとしては、政府が日銀に圧力をかけて、新発国債を全部買い取らせる、いわゆる財政ファイナンス=ヘリコプター・マネーがあります。日銀がどんどん買うから国債はさばけますので、政府にどんどん入るキャッシュが財政出動に回されれば、前年比10-15%、あるいはより高い率のハイパーインフレーションが起きてもおかしくない。

    インフレが起きると、それまで発行していた国債の価値が実質で目減りするので、政府は助かります。国民が負担するため、インフレ税とも呼ばれます。これも財政危機のひとつのかたちです。

    いずれにせよ、今の流れのままでは到底30-50年と持続できません。10年保てばいい方でしょう。だから早く手を打つことが重要だとのメッセージを拙著に込めたつもりです。

個人投資家は長期・分散投資で自己防衛を

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  • 尾河個人投資家は翻弄されますね。
  • 伊藤

    どのシナリオになるかわからないのですから、各シナリオに対応できるよう分散投資を進めることが大事です。

    例えば、ハイパーインフレのシナリオでは、ものすごい円安が見込まれます。外貨資産や不動産を保有するのが正解といえます。債券は保有してはいけません。

    外貨を資産の何%か持とうと決めたら、10年ぐらいは持ち続けるぐらいの心構えがいいでしょう。内訳も、ドルだけでなく新興国通貨も含め、分散するのです。

  • 尾河個人投資家の間では、資産として外貨を保有する動きはまだまだ広がっていません。資金循環統計で見ても、家計の外貨資産は2%程度です。ほとんどの人が円しか持っていません。
  • 伊藤実は、米国人もそんなに外貨を持っていないんですよ。
  • 尾河米国は、国内にいろいろな投資先がありますから資産を分散できますよね。キャッシュの比率は20%程度と低いです。日本は国内の投資先も限られるので結局、貯蓄に回ってしまいます。
  • 伊藤日本で投資先が少ないのは、長期的に人口減少傾向にあることと無縁ではないでしょう。国内市場がどんどんシュリンクして(縮んで)いると考えると、企業は国内に投資しにくいため、海外に向かってしまいます。

世代間の不公平是正に打つ手

  • 尾河消費税は引き上げていかないと、危機のシナリオが早まるリスクがあるということは理解できます。ただ、消費税を引き上げると景気が悪くなるというジレンマに陥りますね。成長率が高いほうが税収がいいという見方もあります。財政で景気を吹かす方が先決との議論です。
  • 伊藤

    財政出動を拡大したら、元の木阿弥で借金が増えるだけでしょうから、いつかは増税しないといけない。

    現在の人々が良い生活水準を維持するために財政赤字を続けると、10-20年先の世代の人たちがツケを払う上に、生活水準が下がる羽目になります。所得税を払わなくなっている世代に手厚くして、これから所得税を払う人にツケを全部回すというのはいかがなものでしょうか。

  • 尾河国民には、今の生活水準は借金で賄ってるのであって、本当はこんな生活水準は維持できないんですよと、ちょっと我慢してくださいと、正直に言うことですね。
  • 伊藤

    将来世代のことを考えるなら、できるだけ早く赤字をなくし、少なくとも国債の新規発行はやめることが正解だと考えています。

    若い人たちの所得を引き上げ、社会保険料は引き下げて、手取りの所得を高くする。その分を50歳以上の人たちが平等に負担すればいいと思います。

  • 尾河現実の政策に落とし込むのは難しいように見えます。

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  • 伊藤消費税を引き上げた上で、若い人たちには低所得者への税の還付をみとめる給付付き税額控除や、その他の教育手当などで支援すれば、現在世代から将来世代への負担の移転が、ある程度は是正できるでしょう。
  • 尾河税収を引き上げるのと同時に歳出カットというのも、政治的には難しいでしょうしね(笑)。
  • 伊藤そうですね。社会保障の削減より、むしろ医療補助のムダ是正が一番重要だと思っています。団塊の世代の一番大きな人口集団は67-69歳ぐらいですが、これが10年もすると77-79歳ぐらいになって、ものすごい医療費を使うことになります。今のうちに手を打たないと間に合いません。
  • 尾河寿命も伸びています。
  • 伊藤

    寿命自体が伸びるのは結構ですが、健康寿命を伸ばさないと、対処が難しくなります。

    財政や金融政策以外では、規制緩和で企業の投資環境を変えるて成長率を引き上げる方法があります。農業改革などの方向性としては正解でしょうから、是非とも実現していただきたいです。

    ただ、果実を得るまでに4-5年はかかります。今でも赤字が30-40兆円規模で毎年増えています。今は金利がゼロですが今後、金利が上がるようなら、その分、政府の支払う利子はさらに膨らみます。

将来世代に生きるGPIFの考え方

  • 尾河分散投資といえば、伊藤さんが運用改革を取りまとめられた年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が注目されています。国債を減らしてリスク性資産を増やすというポートフォリオの修正は、個人投資家も参考にできるのか、という質問を受けることがあります。
  • 伊藤

    その方の年齢が重要です。30-40歳台で10年超保有するなら、株式の割合が高いポートフォリオはかなりいいでしょう。

    私は米ミネソタ大学で30代前半から後半にかけて働いた間、確定拠出の年金で株式と債券の割合を半々にして積み立てたのですが、30年間放っておいたら、複利・再投資の結果、株式の割合が債券より5割ぐらい多くなっています。

  • 尾河日本ではバブル崩壊後、株式投資でいい思いをした人は多くないため、手を出しにくい面もあります。

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  • 伊藤そうですね。ただ、長期で保有して配当なども計算に入れれば、運用成績は悪くないはずです。
  • 尾河GPIFのポートフォリオは長期的にベストということでしょうか。
  • 伊藤ベストではありません。世界的に見れば、まだコンサバティブ(保守的)な方です。カナダやアメリカ、オランダ、スウェーデン、ノルウェーなどでは、債券は30%以下というところが主流です。ゼロ金利環境ということもあって、どんどん債券の比率を下げて、株式やインフラなどオルタナティブ投資を増やしています。
  • 尾河リスク資産の比率が増えることで、年金が目減りしかねないとの議論も活発です。
  • 伊藤

    すでに年金を受給している世代は、全く心配する必要はありません。GPIFの運用資産は130-140兆円ですが、現在の年金支払いは、大部分を現役世代の支払う年金保険料でまかなっています。足りない5兆円分をGPIFから年金システムに上納しています。GPIFの保有資産から利子・配当の収入がありますから、5兆円上納しても資産規模がそのまま減るというわけでもありません。

    仮に保有債券を取り崩していっても、最低10年は保つ。ひょっとしたら20年、保つかもしれません。

    ただ、現役世代が年金を受給する年齢となったとき、次の世代の人口が減っていたら保険料で賄えなくなります。それで長期投資の重要性が出てくるのです。受給している世代のために、例えば35%にあたる40-50兆円の債券を確保した上で、残りを株式で運用すれば、債券で運用するより高い利回りが出るので理にかなう、というのが今のポートフォリオです。完全な正解ではないかも知れませんが、間違いではないと思います。

    国内株式に期待できないなら、外国株式でもいいでしょう。世界が破たんするときは、何に投資していてもダメなわけですから(笑)。インフラや不動産の比率を高めれば、ハイパーインフレに対するリスクヘッジにもなります。次の世代のことを考えると、やるべきことはいくらでもあります。

  • 尾河特に若い世代にとっては、長期・分散投資が重要な意味を持つわけですね。
  • 伊藤

    その通りです。ただ、最重要の投資先は、実は「人的投資」だと思っています。自分に投資するのです。

    日本経済が先細りだと思うなら、英語か中国語を身につけて、一番いい賃金を出してくれるところで働くというぐらいのグローバルな気概を備えてほしいです。多通貨のポートフォリオを組むぐらいなら、多言語を話せる自分を作った方がいい。人的投資にも、それから生み出されることにも、税金はかかりませんから(笑)。

  • 尾河なるほど。労力もかかるし時間もかかりますが、本当に大事なことだと思います。格言にしたいぐらいのお言葉ですね(笑)。
  • 伊藤若い人には可能性がいっぱいあるからこそ、実践してほしいと思っています。

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