MONEYKitトップ > from MONEYKit > 為替・金利レポート > 市場を読む 為替マーケット講座 > 第3章 為替相場の変動の仕組みとその要因
第3章 為替相場の変動の仕組みとその要因
8. 為替相場の変動要因となる先進国間の国際協調体制と為替政策
日本の円相場が変動相場へ移行したのは、約30年前の1973年3月からです。1971年までは1米ドル=360円、その後は308円の固定相場となっていました。変動相場制移行以後は、先進各国間の国際協調体制や為替政策によって、何度となく大きな為替変動を経験しています。その中でも為替相場に決定的な要因を与えた出来事について触れたいと思います。
日本の円が変動相場に移行して以降の大きな出来事としては、まずは1978年のカーターショックが挙げられます。当時の米国は貿易収支の大幅な赤字が進行し、それに加えてインフレ率の上昇も大きく、米ドルは対円でも急落し、1米ドル=230円台から175円台にまで急落していました。そのため、その時の米国のカーター大統領は為替介入策、金利引き上げ策を盛り込んだドル防衛策を発表したのを受け米ドルは暴騰し、それ以降米ドルは大きな上昇トレンドに入りました。
その次は1985年9月のG5(先進5カ国財務相・中央銀行総裁会議)・プラザ合意による円、ドイツマルクの切り上げです。米ドル円相場は約1年4ヶ月間に1米ドル=240円から120円までの120円上昇という想像をはるかに超えた円の暴騰を引き起こすきっかけとなりました。この背景にはこの頃の米国の双子の赤字と高金利政策により米ドル高が続き、日米、日独との貿易不均衡がますます政治問題化している中での合意でした。この時は先進各国の中央銀行の徹底した米ドル売り協調介入によって1日で数円変動することはざらであり、特に会議後の1985年9月23日(祝日)の海外市場では1日に約10円上昇しました。その劇的な変動状況は今でも記憶の中に鮮明に残っています。
その後に注目されたのは、1987年2月に行なわれたルーブル合意です。そこではプラザ合意でのドル高是正に終止符を打ち、為替レートを現行水準で安定させる合意がなされました。その変動のターゲットゾーン*としては1米ドル=140〜160円に設定されたとも言われています。これが原因ではありませんが、それからの米ドルの高値は1ドル=160円となっています。
そして、最後の大きな相場の転機となったのは「ドルの秩序ある反転が望ましい」として合意が行なわれた1995年4月のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)です。この年の8月には1米ドル=79円75銭までの円の最高値を記録しましたが、この時は米国だけでなく、ドイツの中央銀行であったブンデスバンクなども東京市場に直接介入をしています。この後も執拗な日本銀行の単独介入もあり、超円高局面には終止符が打たれました。そしてその反動として円相場は1米ドル=147円台に向かい、逆に円安懸念をするようになるのです。

このように国際政治上での協調体制によって為替政策が一旦変更されると何十円もの大きな変動をもたらすことが多く、大きな注意を払う必要があります。ちなみに中国をオブザーバーとして招いて開催された今月10月のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)においては、米国の主導によって、変動相場制移行などへの中国の人民元制度改革を提言しています。この問題も為替レートによる貿易不均衡が政治問題化したものであり、約30年前の円の切り上げ、変動相場への移行、また15年前のプラザ合意の時の国際協調体制によって起こった外国為替市場での出来事がよみがえります。
*ターゲットゾーン
目標相場圏とも言われ、1米ドル=105〜125円というように一定の為替変動幅を設定すること。その範囲を超えると中央銀行により市場介入が行なわれることになる。

