プロを訪ねて三千里【第2回】井上哲也氏 知られざる日銀の素顔
「長短金利操作」は抜かずの宝刀か

日銀の金融政策決定会合は、個人投資家にとって重要なイベントのひとつです。しかしその実態は、あまり知られていません。植田和男元審議委員の在任中に専属スタッフとして政策決定の現場を見てきた元日銀マンの野村総合研究所・金融ITイノベーション研究部長、井上哲也さんに、会合の舞台裏や現在の日銀の取り組みなどをうかがいました。

井上哲也(いのうえ・てつや)氏 プロフィール

野村総合研究所
金融ITイノベーション研究部長
主席研究員

1985年東京大学卒、日本銀行に入行し重債務国問題を担当。その後、米イェール大に留学、92年に経済学修士を取得。日銀に復帰後、邦銀の国際業務のモニタリング、福井副総裁(当時)秘書、IT革命の影響に関する研究や、『新しい日本銀行』(公式解説書)の編集等に従事。植田審議委員(当時)専属スタッフを担当後、金融市場局で担当総括として為替市場のモニタリングや、参事役としてBIS等の国際金融会議に参画。2008年に野村総合研究所に転じ、「金融市場パネル」の運営等を通じ日米欧の中央銀行の政策に関する調査と発信を行っている。経済誌への寄稿や経済専門メディアへの出演多数。

対談日:2016年10月14日

知られざる日銀の素顔

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  • 尾河中央銀行での議論の本当の様子は、外からはなかなか見えません。政策決定の過程をつぶさにご覧になられて、どのような実感をお持ちですか。
  • 井上

    公表されている資料に、決定会合の議事録があります。これは、かなり正確に記録されていると思います。読んでいただければわかる通り、政策の効果やリスクに関してかなり激しい議論がたたかわされています。どんな決定もこうした手順を経ているわけです。

    FRBや欧州中央銀行(ECB)では、政策の発表時間も議長や総裁の会見時間も事前に決められています。一方、日銀は政策発表時間が定まっていません。これには賛否両論ありますが、きちんと議論し尽くすまで会合を続けるという生真面目さの表れともいえます。

  • 尾河投資家の間では、発表時間が未確定な点はあまり評判が良くありませんが、実は歓迎すべきこと、ということでしょうか。
  • 井上

    米欧の場合、実質的な議論は会議室の外で行われるように思います。ECBでは、前の晩に非公式の食事会が催され、そこで議論を予め整理するとされています。参加者が多いため、議論が簡単にまとまらないリスクに備える面もあるでしょう。

    FRBでも、重要な決定では事前の根回しが決め手になるように思います。12月の利上げに関しても、意見は割れているようですので、イエレン議長は、メンバーに対する事前の説得に忙しくなりそうです。

  • 尾河日銀もそういう事情は、もっと宣伝した方がいいように思えますね。
  • 井上

    残念ながらあまり上手じゃないようです。マイナス金利の導入の際も、過剰な不安を煽ってしまった印象を受けます。PR会社のような専門家に知恵を借りてもいいのかもしれませんね。

    実は日本ほど、中央銀行の動向に一般の人々が関心を持つ国はあまりないのです。量的緩和やマイナス金利のことなど、経済紙だけでなく一般紙の一面や、ワイドショーでも取り上げられます。街頭でドル/円レートをたずねてみれば、ほぼ正確に直近の数字が返ってきます。米国でも欧州でもユーロ/ドルを聞いても、正確な回答は期待できません。

  • 尾河日本は金融リテラシーが低いといわれてきましたが、国際的に比較すればそんなことはない、ということですか。
  • 井上金融市場に対するセンスは高いと思います。日銀は、せっかく恵まれた環境にあるのですから、きちんと説明すれば理解が得られると思います。

日銀は総括検証で「ゲーム・チェンジ」

  • 尾河9月の日銀金融政策決定会合では、1月に打ち出したばかりのマイナス金利付き量的・質的金融緩和を衣替えしました。日銀は、長期金利は日銀が直接的に操作するものではないとの趣旨の説明をホームページに掲載していますが、新しいネーミングはズバリ「長短金利操作付き・量的・質的金融緩和」というのですから驚きです。
  • 井上黒田東彦総裁の任期中にこれまでの政策の総括に踏み込んだこと自体が驚きでした。それだけ課題が意識されたのだと思います。
  • 尾河なぜこのタイミングだったのでしょう。

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  • 井上

    大きく2つの理由があります。インフレ目標の達成にはなお時間を要する状況なので、長期戦の中で国債買い入れの限界に将来直面するリスクが高まりました。遅かれ早かれ、政策手段の重点を「量」から「金利」にシフトさせる必要が生じたわけです。

    同時に、インフレ目標に対する政策の感応度も、見直す必要が生じました。去年以降はインフレ見通しを引き下げ、目標の達成時期を遅らせたのに、追加緩和をしなかった。こうしたギャップを修正しないと、市場参加者からの日銀への信頼感が低下します。

    「量」から「金利」への見直しはソフトランディングし、この政策の枠組みは少なくとも数年は延命しました。ただ、ギャップの修正はこれからです。10月31日-11月1日の決定会合で見通しの変更が見込まれますが、それでも追加緩和をせず、インフレ見通しの変更イコール追加緩和という連想を明確に断ち切るのではないでしょうか。

  • 尾河追加緩和の期待を膨らませないと失望の円高・株安を招きがちですが、それはもうやめよう、ゲームのルールをチェンジしよう、というわけですね。
  • 井上そう思います。9月に米国に行った際、マイナス金利のメリットとして期待された円安が実現していないとの指摘を受けました。私は、理由の一つが日銀のコミュニケーションにあるようにと思います。直ちにインフレ目標を達成すると説明する一方、インフレ見通しを引き下げながら追加緩和を見送ることが繰り返されたので、市場では何度も思惑が膨らんでは裏切られた。その失望が円高圧力の一端にあったように感じます。

「長期成長期待」の欠落、金融政策で補えない

  • 尾河長短金利の操作は、先進国の中央銀行として初の試みですが、かなり難しいのではないでしょうか。
  • 井上

    そうですね。10年債の利回りを、短期の政策金利と同じように0.1%刻みで操作するのが難しいことは、市場関係者に共通した理解だと思います。変更幅は0.5%といった刻みになるのではないでしょうか。しかも、金利上昇圧力が生じた場合には抑制するでしょうが、金利下落圧力が生じた場合に追認して目標を下げるのか、現時点で明らかでありません。

    また、今の目標がなぜ10年債利回りでゼロなのかも、十分な説明はなされていません。短期の政策金利は、景気を刺激も抑制もしない「中立金利」との比較から最適な水準を説明できますが、長期金利の適切な水準を説明するのは相当に難しいです。長期金利の目標は短期の政策金利に比べて動かすことが難しく、よほどの事態に限って使う点で、平時には「抜かずの宝刀」になるかもしれません。

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  • 尾河日本のイールドカーブ(利回り曲線)がフラットニングしたのはなぜでしょうか。
  • 井上

    5月の欧州出張で、現地当局と欧州との比較について議論しました。浮かび上がった理由は3つあります。

    マイナス金利の下で日本の金融機関が長期債の運用を増やした影響が、まずひとつ。また、欧州当局からは、国債管理政策の違いも挙げられました。2011─12年の欧州債務危機では、イタリアやスペインなどが国債の発行年限を短くしました。それを今、元に戻そうとして超長期債の供給を増やしています。これに比べ、日本は慎重過ぎると指摘されました。

    とはいえ、最大の理由は、日本の長期の成長期待やインフレ期待が低すぎることでしょう。

  • 尾河まったく同感です。
  • 井上今後数年でデフレを脱却して現在のマイナス金利を終えても、このような長期の悲観が支配的だと、向こう30-40年を見通して何度もマイナス金利の局面が来るとの思惑が生じてしまい、そのことが超長期債の金利を引き下げるというメカニズムです。この問題は、金融政策では変えられません。構造改革など政府や民間自身の取り組みで働きかけるしかありません。
  • 尾河今度は政府にアベノミクスを「総括検証」して成長戦略を実行してください、ということですね。
  • 井上

    日銀の「総括検証」は結果としてそういうメッセージも含んでいます。黒田総裁は、日銀が金融環境を緩和することまではできるし、それに成功したと述べています。

    米国出張の際にも、日本で住宅ローンの10年固定金利が1%を切っていると話したら「なぜ住宅バブルが起きないんだ」と驚かれました。しかし、人口も減り年金にも期待できない中では、金利が下がっただけの理由で新しい家が飛ぶ様に売れることにはなりません。企業経営者も、金利が下がっただけの理由で設備投資を増やすと言ったら、株主に叱られるでしょう。

    残念ながら、日本では金融緩和と実体経済が連動するメカニズムが十分機能していないのです。

  • 尾河米国でのアベノミクスへの期待はどうですか。
  • 井上マクロファンドも新たなテーマにしにくくなりました。具体的に進んでいる領域はコーポレート・ガバナンスだと認識されてはいますが、効果が出るには相応に時間がかかると理解されているようです。

不透明感が根強い米欧情勢

  • 尾河米国では、いよいよ12月利上げという議論が盛り上がりつつあります。
  • 井上興味深いのは、9月の時点と12月の時点で、実体経済にさほど大きな違いが生じないと思われることです。物価の安定と雇用の最大化という米連邦準備理事会(FRB)のデュアルマンデート(2つの使命)の面でも、大きな変化は見込まれません。
  • 尾河結局、イエレン議長がハト派過ぎるからでしょうか。
  • 井上9月の米連邦公開市場委員会(FOMC)前の時点では、議論がきっ抗していました。イエレン議長の慎重な性格を考えれば、利上げして失敗したとき、簡単に批判材料が挙げられる環境では利上げを決断しないという見立てを当時、米国で聞きました。
  • 尾河ある程度の相場の変動は覚悟しないと利上げは出来ない、ということですね。
  • 井上そうした面はあります。当時は、長期金利が世界的に反発するなど、市場に不安定な面がありました。ドル高のせいで、利上げせずとも実質的に金融引き締め効果が出てしまっているという議論もありました。こうした状況は、12月でもあまり変わらないでしょう。

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  • 尾河欧州は、相変わらずいろいろな問題が山積しています。
  • 井上

    俯瞰してみると、欧州はまだまだ構造問題が残っています。何かショックが起きたとき、日本ならば市場が多少、動揺するにすぎないことでも、欧州では実体経済に波及するリスクがあります。

    ドイツの大手銀行の問題も、本来は個別行のことなのに欧州の金融システムは大丈夫なのかという懸念につながりました。企業の債務問題もなかなか改善しないので、成長率が上向く見通しもなかなか立ちません。

  • 尾河調査によれば、資金需要も多少なり上昇しています。銀行の貸出基準も緩くなっているはずです。
  • 井上2000年代初めの日本でもそうでしたが、金融緩和によって貸出金利は下がりましたし、預金金利も下がっている点で政策の効果は出ています。ただ、なかなかそれが持続しません。
  • 尾河英国の欧州連合(EU)離脱の行方もさることながら、イタリアの国民投票やドイツの連邦議会選挙と、たくさんイベントが控えています。ギリシャ問題もまったく解決していません。どういうリスクシナリオがありますか。
  • 井上12月のイタリアの国民投票では、首相が負けたらやめると宣言してしまいました。世論調査も拮抗していて予断を許しません。イタリアは不良債権の問題があります。公的資金注入の是非という政治的に難しい判断を、脆弱な連立政権にできるとは考えにくく、財政健全化も含めて経済政策が不安定化するリスクがあります。
  • 尾河欧州はまだまだ問題山積で、注意したいところですね。有難うございました。

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